朝鮮後期の商業と朝廷の財政について、ChatGDPに訊く のつづきです。
私:
なるほど。
「朝鮮後期の朝廷の歳入源の不安定さ」がわかりました。
また、>行政組織が徴税能力を持たなかった
というのも、今と大きく違う点ですね。
ここは、徳川幕府と違うのかなと思いました。
さて質問です。
①
両班や地方豪族は、安いお金で奴婢に耕させ、穀物その他を得ていたのでしょうが、朝廷からの給料みたいなものはなかったのですか?
②
ドラマでは、両班は贅沢な暮らし(絹を着て、酒を飲んで遊び暮らしているような)をしているのですが、李朝末期の人口はどれぐらいでしたか?
また、両班・中人・常民・賤民・奴婢(官奴婢・私奴婢)はそれぞれ、どのくらいの人数だったか、わかりますか?
ChatGPT:
専門用語はできるだけ日常語に置き換えます。
結論を先に言うと、
朝鮮は身分の“人口バランス”が非常にいびつで、
両班が異様に多すぎる社会でした。
そしてこの構造が財政弱体化と徴税能力の低下につながっています。
順に説明します。
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① 両班は「朝廷からの給料」をもらっていたのか?
結論:
ほとんどの両班は給料をもらっていない。
理由はシンプルです。
・官職(ポスト)についた人だけが俸禄(給料)を受け取れた
・しかし官職につける両班はごく一部
・多くの両班は「無職のエリート階級」だった
朝鮮後期になるほど、試験(科挙)に受かる人数は限られているのに、
自分を“両班だ”と名乗る人が膨れ上がっていったためです。
このため、多くの両班は
・祖先の土地からの収入
・小作農や奴婢に耕させる収入
・地域の有力者としての“取り分”(特に不正)
で生活しました。
つまり、両班=公務員ではないという点が、
江戸幕府(武士は石高で給料をもらう)と決定的に違います。
江戸武士:
「武士=領主から給料(米)を受け取る職業階級」
朝鮮両班:
「身分は高いが、職はない。収入は自力で確保」
この違いは非常に大きいです。
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② 李朝末期の人口(18〜19世紀)
19世紀半ば〜末の推計で 約1,300万〜1,600万人 と見られています。
(人口統計が不正確なため幅があります)
・18世紀後半:1,000万〜1,200万
・19世紀後半:1,300万〜1,600万
・日本(幕末)は約2,500万
→ 朝鮮は日本より規模が小さい。
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③ 身分ごとの人口割合(推計)
ここが最大の特徴です。
結論:
両班が人口の20〜30%に達する地域すらあった。
これは世界的に見ても非常に珍しい現象です。
一般的な推計(19世紀):
■両班(ヤンバン):10〜20%
地域によっては30%。
「名乗るだけ両班」の“ニセ両班”も大量にいたため数が膨らんだ。
■中人(チュンイン):1〜2%
技術職・書記官・通訳など。
身分は高いが数は少ない。
■常民(チャンミン=農民・一般民):60〜70%
大多数。
税負担の中心。
■賤民・白丁:5%前後
皮革職人、屠殺、墓守など。差別がきつい。
■奴婢(官奴婢・私奴婢):5〜10%
16世紀は“奴婢制度のピーク”で人口の30%超と言われたが、
18〜19世紀には減り、最終的には5%台に落ちる。
■なぜ両班が増えすぎたのか?
理由は3つ。
1. 両班という身分は世襲で、増える一方だった
2. 土地があれば両班と名乗れる地域もあった
3. 科挙合格者数はほぼ一定なのに、受験資格を持つ“両班”だけが膨張
結果として
「特権階級が人口の20%を超える」という異常事態
になりました。
これにより何が起きたか?
・税を払う層(常民)が相対的に減る
・税を払わない層(両班)が増え続ける
・行政担当者(地方官)が不正に流れて徴税が機能しない
・国庫が枯渇する
・貨幣経済が発展しない -商人への依存度が高まる
まさにドラマ『商道』で描かれる状況と一致します。
■江戸時代との比較(簡潔に)
→ 朝鮮の方が、構造的に行政も財政も不安定。
必要なら、
「両班が多すぎる社会の“崩壊のメカニズム”」
「奴婢がなぜ急減したのか」
「なぜ朝鮮は身分秩序ばかり拡大し、税基盤が縮小したのか」
なども詳しく書けます。
どこを深掘りしますか?
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私:
奴婢が急減した理由はなんですか?
ChatGPT:
理由は一つではなく、
制度・経済・国家財政の破綻・逃亡の増加が同時に起きた結果です。
中学生にも分かる言い方で整理します。
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① 国が「奴婢制度はもう維持できない」と判断した
李朝後期、とくに18〜19世紀になると、国はこういう状態でした。
・戦争と飢饉が続く
・役人の腐敗で税が集まらない
・軍隊の維持もできない
そこで国は考えました。
「奴婢は税も軍役もほとんど負担しない。
このままだと、国を支える人数が足りない」
つまり、
奴婢を“税を払う平民”に変えたほうが国が助かる
という発想に変わったわけです。
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② 国が法律で「奴婢を解放」した
決定打がこれです。
● 1801年(純祖の時代)
官奴婢(国の奴隷)をほぼ全員解放
→ それだけで、数十万人規模が一気に平民になりました。
● その後も段階的に
・逃げた奴婢は黙認
・身分調査をゆるくする
・私奴婢(個人の奴隷)も、事実上の自由化
制度の上でも、実態の上でも、
奴婢を維持しない方向に国が舵を切ったということです。
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③ 経済が「奴婢を使う形に合わなくなった」
昔の農業は、
・土地を大きく持つ
・奴婢に耕させる
・収穫物を取り上げる
という仕組みでした。
ところが後期になると、
・小作人(借りて耕す農民)が増える
・現金取引が増える
・市場経済が拡大する
すると、
「一生食わせなければならない奴婢」より
「必要な時だけ雇える小作人や日雇い」
の方が安上がりになります。
つまり、経済の仕組みが“奴隷制向き”ではなくなったのです。
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④ 奴婢の「大量逃亡」が止められなくなった
後期になると、こういうことが普通に起きます。
・飢饉 → 主人が養えない
・戦乱 → 戸籍がぐちゃぐちゃ
・地方役人も管理しきれない
逃げた奴婢は:
・農村に紛れる
・市場の労働者になる
・山に逃げる
本来なら捕まえるべきですが、
役人が賄賂を取って見逃す
そもそも捕まえる能力がない
結果として、
「戸籍上は奴婢、実態は自由民」
が大量発生しました。
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⑤ 両班にとっても「奴婢はもう重荷」になった
ドラマだと、両班は楽に暮らしているように描かれますが、後期は違います。
・土地の収益が下がる
・税の負担は両班にも来る
・賄賂、交際費、官職維持費が重い
すると、
「働かない奴婢を一生養うより、
自分で耕す小作人から地代を取る方がマシ」
という判断になります。
だから、
両班の側からも奴婢を手放す動きが広がったのです。
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⑥ 結果としてどうなったか
18世紀前半 → 奴婢は人口の30%近く
19世紀半ば → 数%まで激減
20世紀初め → 事実上消滅
つまり、
奴婢は「人道的に解放された」というより、
国家と経済が維持できなくなって、自然崩壊した制度
です。
あなたの見てきたドラマとの対応
・『推奴』=逃亡奴婢が大量に出るのは史実に近い
・『馬医』『商道』の時代=すでに奴婢制は末期
・『緑豆の花』の頃=制度としてほぼ崩壊
すべて、時代の流れと合っています。
もし関心があれば、
「日本の江戸時代に“奴隷制度が存在しなかった理由”」
との比較も、かなり面白い対比になります。
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