小説『商道』について、私の妄想と疑問をChatGDPに話す のつづきです。
私:
ドラマ『商道』では、商人たちと朝廷高官との関係が出てきました。
松商は、高官に多額のワイロをよく贈りました。
サンオクも、人参交易の権利を頼みに、知り合いの高官を訪ねます。
彼の場合は、私的なワイロではなく、
朝廷への税を治めると言ったかと思います。
朝廷の実質的な財政は苦しく、
商人が治める税金に頼っていたような気もします。
質問は以下です。
朝鮮後期の商業について。
①湾商・松商ほかの実像
今でいえば、どれぐらいの売り上げがあり、
どれぐらいの税を納めていたのか
②朝鮮は「商人を身分的に低く見たのに、商業は発達したのか」
ChatGDP:
ここは歴史の専門書でも数字がそろわず、
推定で語る部分が多いです。
ですが、ドラマで描かれた世界がどのくらい現実と近いのか、
できるだけ「中学生にもわかる」レベルまでかみ砕いて説明します。
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① 湾商・松商などの実像
(※厳密な売上高の記録は残っていないため、
当時の相場や制度からの推定になります)
朝鮮後期には、特定の地域の商人に
「独占販売権」を与える制度がありました。
例として
・松商(ソンサン):高麗人参の独占販売
・湾商(ワンサン):平壌を拠点に国際交易(特に清との交易)
・開城商人(ケソン商人):人参以外の布・綿・金など幅広い物資
いずれも「国家公認の特権商人」で、
現代の言葉でいうと “大企業グループ” に近い立場でした。
■どれほど稼いでいたか(推定)
高麗人参は、当時中国で非常に高価でした。
清での売価は、銀1斤(約600g)=今の100〜150万円相当という例もあります。
湾商・松商の売り上げは、
今の金額に換算すると、年間で数十億〜数百億円規模と推定されています。
もちろん商人全員が大儲けしたわけではなく、「一部の上層商人」です。
■どれほど税を納めていたか
朝鮮の国家財政は銀不足で常に苦しく、
「人参税」「商人からの上納」が財政の柱の一つになっていました。
商人にとって、税の上納は
・役人への贈答(賄賂)
・朝廷への“寄付”に近い上納金
が混ざっており、境界があいまいでした。
ドラマでサンオクが
「朝廷に税を納めることで、代わりに交易権を得る」
というのは、実際の慣行と一致します。
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② 朝鮮は「商人を身分的に低く見たのに、商業が発達したのか」
これは一見矛盾していますが、理由ははっきりしています。
◇ポイントは3つ
① 商業は嫌われたが“必要”だった
儒教社会では
商人=「自分では何も作らず、利を取るだけ」
とされ、身分は最下層。
しかし現実には
・国家が税収を商人に依存していた
・国際貿易(対清・対日本)は商人がいないと成立しない
・都市化の進行で市場が拡大した
つまり
建前では嫌う、しかし実際は頼る
という矛盾した構造になっていました。
これは中国清朝でもよく見られる典型的な構造です。
② 身分秩序が崩れ、富のある商人が台頭した
18〜19世紀には
・両班が没落して土地を売る
・商人が土地や人手を買い取る
・富を持った商人が政治に影響力を持つ
など、社会の実態は大きく変わりました。
名目上は「商人は最下層」ですが、
実際には 経済を動かす中心 でした。
③ 役人の腐敗が商人をさらに強くした
賄賂を必要とする官僚制度では、
商人が「金を持っている」こと自体が政治力の源になりました。
つまり
・身分制度が商人を下に置く
・しかし腐敗した政治が商人の金を必要とする
このギャップが、商業発展の原動力になったわけです。
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◇ドラマ『商道』の描写は、どこまで本当か?
結論だけ言うと、
・賄賂まみれの官僚
・一部大商人が国家財政を支える
・独占権をめぐる政治との駆け引き
・商人が実質的な資金源
これらは非常にリアルです。
ただしサンオクのような
「利よりも道徳を優先する、大商人」
という人物は、理想化された部分が大きいです。
現実の大商人はもっと生臭く、政治との結びつきは深かったはずです。
必要なら、次のような方向でも説明できます。
・湾商と松商の内部構造(株式組織に近い部分がある)
・人参交易が国家財政をどれほど支えたか
・朝鮮の商業が中国・日本とどう違ったか
・サンオクのような“道徳的商人像”が後世に作られた背景
続けますか?
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私:
これは私の想像ですが、今の政府でいえば歳入は、
・企業が治める税金
・個人単位で治める所得税
・政府が持っている外債の利子(?)
・国債発行による借入金
でしょうか?
朝鮮後期の朝廷の歳入源はなんでしたか?
ChatGDP:
朝鮮後期(おおむね18〜19世紀)の歳入は、
現代の政府歳入と比べると「極端に細く、偏っていた」のが特徴です。
あなたが例に挙げた現代の財源
(所得税・法人税・国債など)とは、仕組みがまったく違います。
大きく分けると 4つ だけです。
① 田税(=土地にかかる税)
朝鮮の歳入の“柱”でした。
・農民が収穫したコメや粟から一定割合を納める
・徴税はしばしば不正だらけで、
実際に朝廷に届く量は少なかった
・そもそも耕地面積が少なく、
人口に対して収穫が乏しい
→ 国家財政が慢性的に足りない一番の原因。
現代で言えば
「政府歳入の6割以上を“コメ税”に頼っている」
くらいの偏りです。
② 商業税・専売収入(=高麗人参など)
ここがドラマ『商道』とつながります。
代表例:
・高麗人参の専売利益(松商)
・海運・関税に近い取引税
・市場税(店を開く人が払う税)
朝鮮は貨幣経済が弱かったので、「税」といっても固定制度ではなく、
商人からの“上納金”が税の性質を兼ねる ことが多かった。
→ ドラマで、商人が大量の銀や税を朝廷に納めるのは、この歴史背景と一致します。
③ “貢納”と呼ばれる名目の半強制的納付
両班(士大夫)や地方豪族が、役職を守る見返りとして
特定の物資や資金を朝廷に差し出す制度 がありました。
現代の言葉に近づければ
「政治とつながる富裕層からの半ば寄付金」に近い。
制度としては古代的で、財政の安定にはまったく役立たない。
④ 外交貿易に伴う収入(朝貢・冊封関係)
清への朝貢外交、琉球・対馬などとの冊封関係から生まれる収入。
・朝貢使節が中国から“回賜品”を持ち帰る
・それを国内で売ることで財源になる
・ただし額は不安定で、財政を支えるには小さい
→ 外交は「政治的必需品」であって、財政的な柱ではなかった。
■まとめると、朝鮮国家の歳入はこうなる
現代の政府歳入(所得税・法人税・国債)とは違い、非常に脆弱。
朝鮮後期の歳入比重(概念的なイメージ)
・土地税(コメ)……5〜6割
・専売・商業……2割
・貢納……1割
・外交収入……少量
しかも、不作の年はそのまま国家財政が崩れました。
近代国家のように「国債を発行して補う」仕組みがなかったからです。
■なぜこの構造で国家が持たなかったのか?
原因は単純です。
・農業中心で税基盤が弱すぎる
・商業税をきちんと構造化できない
(贈賄と癒着に流れる)
・国債制度がない
・銀不足で貨幣流通が育たない
・行政組織が徴税能力を持たなかった
つまり
「近代国家の財政」ではなく、
中世的な“勘定台帳”の延長で運営されていました。
この状態で、19世紀の世界市場(列強の圧力)に直面したため、
財政再建が不可能で、改革が進まないまま国力が衰えたわけです。
必要なら
・江戸幕府と朝鮮王朝の税制度を比較する
・「なぜ朝鮮には国債が成立しなかったのか」
・商人の上納金がどの程度政治を動かしたのか
など、より具体的にも説明できます。どちらへ進めますか?
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私:
歳入源についてはわかりましたが、歳入の合計金額と、歳出の用途別の金額(つまり、何にどれぐらいの支出をしたか)も、わかりますか?
今の政府の仕組みしかわからないので、朝鮮の朝廷の役割や全体のイメージがつかめません。徳川幕府は各藩別にある種の独立採算だったのでは?と感じていますが、どうなんだろう?
ChatGDP:
朝鮮王朝について、**“国家予算のイメージ”**をできるだけ現代の感覚に置き換えて説明します。
ただし注意点として、朝鮮後期は帳簿が整っておらず、歳入・歳出の「合計額」が現代のように数字で残っていません。
存在するのは断片的な資料と推計です。
ただ、「だいたいどういう規模で、何にお金を使っていたのか」は再構成できます。
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■1. 歳入はどれぐらいの規模だったのか?(推定)
前提:
人口1,300〜1,600万(19世紀)
そのうち税を実質的に負担したのは常民だけ(60〜70%)
朝鮮の税体系は複雑ではなく、主に三つです。
・土地税(穀物)
・布税・雑税(布や特産物)
・労役(軍役・雑役)や代替の金銭
ただし徴税の半分以上が不正で抜けていたのが実情。
研究者の推計では、
中央政府が扱えた実質的な歳入は、全人口の0.5〜1%分の米に相当
と言われています。
これは現代感覚で言うと、
「国家が扱える予算が非常に小さく、市町村レベルに近い」ということです。
数字で例えると:
・例えば年間数十万石(コク)単位
・日本の江戸幕府(約400万石)と比べてかなり小さい
中央政府の財政規模は、
江戸幕府の 1/3〜1/5 程度 と推定する研究もある。
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■2. 歳出は何に使ったのか?
現代のように「予算書」があるわけではありませんが、
支出の大部分は以下です。
① 宮廷と官僚の維持(最も大きい)
・宮中の儀式、祭礼、料理、衣装
・宮殿の維持費
・官僚への俸禄(ただし実際に払えるのはごく一部)
朝鮮の国家財政は、
宮廷の維持が“最大の固定費”であり、行政費より大きかった
とされています。
(理由:官僚数が少なく、俸禄も低いか未払いが多い)
② 軍費(防衛)
・国境防衛(清への備え)
・要塞、城壁、軍需物資
兵士の給与は低く、しばしば未払い
軍事費は重要だが、
慢性的に資金不足で常に弱体化していた。
③ 穀物備蓄・飢饉対策(常に不足)
本来は
・義倉(村レベルの備蓄)
・常平倉(政府の穀物価格安定制度)
があった。
しかし19世紀には不正でほぼ形骸化。
ドラマ『商道』でサンオクが税や米を納めるのは、
国家が本来すべき「物価安定」「飢饉救済」を、商人が肩代わりしている状況
を反映しています。
④ 科挙・学校など教育制度
規模は小さい。
⑤ 外交儀礼(中国・琉球など)
朝貢・接待費用など。
中国(清)への朝貢費用は重かった。
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■3. なぜ朝鮮は「国家の財布」が小さかったのか?
理由はシンプルで三つ。
1.課税対象にできる人口が少ない(両班が多すぎる)
2.徴税官が腐敗し、中央に届かない
3.貨幣経済が弱く、税が物納中心で流通しにくい
結果として中央財政は常にギリギリ。
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■4. 徳川幕府との比較
あなたの感覚は正しいです。
**徳川幕府は「藩ごとの独立採算」**に近い構造でした。
●徳川幕府
・幕府=中央政府
・藩=地方政府
・それぞれが独立した財源(石高)と支出を持つ
・各藩は独自の行政組織と徴税システムをもつ
→ 財政が分散しており、徴税能力も比較的しっかりしている
●朝鮮王朝
・中央集権のはずだが、行政能力が弱く
・地方官がほぼ“私領主化”
・中央へ税が届かない
→ 形式は中央集権だが実態は「バラバラ」
徳川幕府の方が
・役人(武士)が公務員化しており
・物流・貨幣経済が発達
・藩で会計も記録される
つまり財政の透明度と徴税能力は日本の方が高かった。
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■5. 朝鮮は「国家の財布が小さく、地方の懐が大きい」社会
・中央は常に金欠
・地方官(守令)が徴税を握り、私腹を肥やす
・両班は税免除で負担せず
・常民だけが搾られる
・商人がしばしば国家の代わりに公共事業を担う
(ドラマ『商道』でよく描かれる構図)
これが朝鮮後期の特徴です。
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必要ならさらに続けます
・朝鮮政府の「官僚数と俸禄の仕組み」
・朝鮮の軍事費はなぜ常に慢性的に不足したのか
・官職売買(賄賂)と財政の関係
・日本と比べて貨幣経済がなぜ発達しなかったか
など、どれでも説明できます。
次はどこを知りたいですか?
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