2025-12-07

朝鮮後期の商業と朝廷の財政について、ChatGDPに訊く

 

 小説『商道』について、私の妄想と疑問をChatGDPに話す のつづきです。


私:

ドラマ『商道』では、商人たちと朝廷高官との関係が出てきました。

松商は、高官に多額のワイロをよく贈りました。


サンオクも、人参交易の権利を頼みに、知り合いの高官を訪ねます。

彼の場合は、私的なワイロではなく、

朝廷への税を治めると言ったかと思います。

朝廷の実質的な財政は苦しく、

商人が治める税金に頼っていたような気もします。


質問は以下です。

朝鮮後期の商業について。


①湾商・松商ほかの実像

今でいえば、どれぐらいの売り上げがあり、

どれぐらいの税を納めていたのか


②朝鮮は「商人を身分的に低く見たのに、商業は発達したのか」


ChatGDP:

ここは歴史の専門書でも数字がそろわず、

推定で語る部分が多いです。

ですが、ドラマで描かれた世界がどのくらい現実と近いのか、

できるだけ「中学生にもわかる」レベルまでかみ砕いて説明します。


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① 湾商・松商などの実像


(※厳密な売上高の記録は残っていないため、

 当時の相場や制度からの推定になります)


朝鮮後期には、特定の地域の商人に

「独占販売権」を与える制度がありました。

例として


 ・松商(ソンサン):高麗人参の独占販売

 ・湾商(ワンサン):平壌を拠点に国際交易(特に清との交易)

 ・開城商人(ケソン商人):人参以外の布・綿・金など幅広い物資


いずれも「国家公認の特権商人」で、

現代の言葉でいうと “大企業グループ” に近い立場でした。


■どれほど稼いでいたか(推定)


高麗人参は、当時中国で非常に高価でした。

清での売価は、銀1斤(約600g)=今の100〜150万円相当という例もあります。


湾商・松商の売り上げは、

今の金額に換算すると、年間で数十億〜数百億円規模と推定されています。

もちろん商人全員が大儲けしたわけではなく、「一部の上層商人」です。


■どれほど税を納めていたか


朝鮮の国家財政は銀不足で常に苦しく、

「人参税」「商人からの上納」が財政の柱の一つになっていました。


商人にとって、税の上納は

 ・役人への贈答(賄賂)

 ・朝廷への“寄付”に近い上納金

が混ざっており、境界があいまいでした。


ドラマでサンオクが

「朝廷に税を納めることで、代わりに交易権を得る」

というのは、実際の慣行と一致します。


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② 朝鮮は「商人を身分的に低く見たのに、商業が発達したのか」

これは一見矛盾していますが、理由ははっきりしています。


◇ポイントは3つ


① 商業は嫌われたが“必要”だった


儒教社会では

商人=「自分では何も作らず、利を取るだけ」

とされ、身分は最下層。


しかし現実には


 ・国家が税収を商人に依存していた

 ・国際貿易(対清・対日本)は商人がいないと成立しない

 ・都市化の進行で市場が拡大した


つまり

建前では嫌う、しかし実際は頼る

という矛盾した構造になっていました。

これは中国清朝でもよく見られる典型的な構造です。


② 身分秩序が崩れ、富のある商人が台頭した


18〜19世紀には

 ・両班が没落して土地を売る

 ・商人が土地や人手を買い取る

 ・富を持った商人が政治に影響力を持つ

など、社会の実態は大きく変わりました。


名目上は「商人は最下層」ですが、

実際には 経済を動かす中心 でした。


③ 役人の腐敗が商人をさらに強くした


賄賂を必要とする官僚制度では、

商人が「金を持っている」こと自体が政治力の源になりました。


つまり

 ・身分制度が商人を下に置く

 ・しかし腐敗した政治が商人の金を必要とする

このギャップが、商業発展の原動力になったわけです。


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◇ドラマ『商道』の描写は、どこまで本当か?


結論だけ言うと、


 ・賄賂まみれの官僚

 ・一部大商人が国家財政を支える

 ・独占権をめぐる政治との駆け引き

 ・商人が実質的な資金源

これらは非常にリアルです。


ただしサンオクのような

「利よりも道徳を優先する、大商人」

という人物は、理想化された部分が大きいです。

現実の大商人はもっと生臭く、政治との結びつきは深かったはずです。


必要なら、次のような方向でも説明できます。


 ・湾商と松商の内部構造(株式組織に近い部分がある)

 ・人参交易が国家財政をどれほど支えたか

 ・朝鮮の商業が中国・日本とどう違ったか

 ・サンオクのような“道徳的商人像”が後世に作られた背景

続けますか?


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私:

これは私の想像ですが、今の政府でいえば歳入は、

 ・企業が治める税金

 ・個人単位で治める所得税

 ・政府が持っている外債の利子(?)

 ・国債発行による借入金

でしょうか?

朝鮮後期の朝廷の歳入源はなんでしたか?


ChatGDP:

朝鮮後期(おおむね18〜19世紀)の歳入は、

現代の政府歳入と比べると「極端に細く、偏っていた」のが特徴です。

あなたが例に挙げた現代の財源

(所得税・法人税・国債など)とは、仕組みがまったく違います。


大きく分けると 4つ だけです。


① 田税(=土地にかかる税)

 朝鮮の歳入の“柱”でした。


 ・農民が収穫したコメや粟から一定割合を納める

 ・徴税はしばしば不正だらけで、

  実際に朝廷に届く量は少なかった

 ・そもそも耕地面積が少なく、

  人口に対して収穫が乏しい

国家財政が慢性的に足りない一番の原因。


現代で言えば

「政府歳入の6割以上を“コメ税”に頼っている」

くらいの偏りです。


② 商業税・専売収入(=高麗人参など)

 ここがドラマ『商道』とつながります。


代表例:

 ・高麗人参の専売利益(松商)

 ・海運・関税に近い取引税

 ・市場税(店を開く人が払う税)


朝鮮は貨幣経済が弱かったので、「税」といっても固定制度ではなく、

商人からの“上納金”が税の性質を兼ねる ことが多かった。

→ ドラマで、商人が大量の銀や税を朝廷に納めるのは、この歴史背景と一致します。


③ “貢納”と呼ばれる名目の半強制的納付


両班(士大夫)や地方豪族が、役職を守る見返りとして

特定の物資や資金を朝廷に差し出す制度 がありました。


現代の言葉に近づければ

「政治とつながる富裕層からの半ば寄付金」に近い。

制度としては古代的で、財政の安定にはまったく役立たない。


④ 外交貿易に伴う収入(朝貢・冊封関係)

清への朝貢外交、琉球・対馬などとの冊封関係から生まれる収入。


・朝貢使節が中国から“回賜品”を持ち帰る

・それを国内で売ることで財源になる

・ただし額は不安定で、財政を支えるには小さい

→ 外交は「政治的必需品」であって、財政的な柱ではなかった。


■まとめると、朝鮮国家の歳入はこうなる


現代の政府歳入(所得税・法人税・国債)とは違い、非常に脆弱。


朝鮮後期の歳入比重(概念的なイメージ)


 ・土地税(コメ)……5〜6割

 ・専売・商業……2割

 ・貢納……1割

 ・外交収入……少量


しかも、不作の年はそのまま国家財政が崩れました。

近代国家のように「国債を発行して補う」仕組みがなかったからです。


■なぜこの構造で国家が持たなかったのか?


原因は単純です。


 ・農業中心で税基盤が弱すぎる

 ・商業税をきちんと構造化できない

  (贈賄と癒着に流れる)

 ・国債制度がない

 ・銀不足で貨幣流通が育たない

 ・行政組織が徴税能力を持たなかった


つまり

「近代国家の財政」ではなく、

中世的な“勘定台帳”の延長で運営されていました。


この状態で、19世紀の世界市場(列強の圧力)に直面したため、

財政再建が不可能で、改革が進まないまま国力が衰えたわけです。


必要なら

 ・江戸幕府と朝鮮王朝の税制度を比較する

 ・「なぜ朝鮮には国債が成立しなかったのか」

 ・商人の上納金がどの程度政治を動かしたのか


など、より具体的にも説明できます。どちらへ進めますか?


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私:

歳入源についてはわかりましたが、歳入の合計金額と、歳出の用途別の金額(つまり、何にどれぐらいの支出をしたか)も、わかりますか?


今の政府の仕組みしかわからないので、朝鮮の朝廷の役割や全体のイメージがつかめません。徳川幕府は各藩別にある種の独立採算だったのでは?と感じていますが、どうなんだろう?


ChatGDP:

朝鮮王朝について、**“国家予算のイメージ”**をできるだけ現代の感覚に置き換えて説明します。

ただし注意点として、朝鮮後期は帳簿が整っておらず、歳入・歳出の「合計額」が現代のように数字で残っていません。

存在するのは断片的な資料と推計です。


ただ、「だいたいどういう規模で、何にお金を使っていたのか」は再構成できます。

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■1. 歳入はどれぐらいの規模だったのか?(推定)


前提:

人口1,300〜1,600万(19世紀)

そのうち税を実質的に負担したのは常民だけ(60〜70%)


朝鮮の税体系は複雑ではなく、主に三つです。

 ・土地税(穀物)

 ・布税・雑税(布や特産物)

 ・労役(軍役・雑役)や代替の金銭

ただし徴税の半分以上が不正で抜けていたのが実情。


研究者の推計では、

中央政府が扱えた実質的な歳入は、全人口の0.5〜1%分の米に相当

と言われています。


これは現代感覚で言うと、

「国家が扱える予算が非常に小さく、市町村レベルに近い」ということです。


数字で例えると:

 ・例えば年間数十万石(コク)単位

 ・日本の江戸幕府(約400万石)と比べてかなり小さい


中央政府の財政規模は、

江戸幕府の 1/3〜1/5 程度 と推定する研究もある。


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■2. 歳出は何に使ったのか?


現代のように「予算書」があるわけではありませんが、

支出の大部分は以下です。


① 宮廷と官僚の維持(最も大きい)

 ・宮中の儀式、祭礼、料理、衣装

 ・宮殿の維持費

 ・官僚への俸禄(ただし実際に払えるのはごく一部)


朝鮮の国家財政は、

宮廷の維持が“最大の固定費”であり、行政費より大きかった

とされています。

(理由:官僚数が少なく、俸禄も低いか未払いが多い)


② 軍費(防衛)

 ・国境防衛(清への備え)

 ・要塞、城壁、軍需物資

 兵士の給与は低く、しばしば未払い


軍事費は重要だが、

慢性的に資金不足で常に弱体化していた。


③ 穀物備蓄・飢饉対策(常に不足)


 本来は

 ・義倉(村レベルの備蓄)

・常平倉(政府の穀物価格安定制度)

があった。


しかし19世紀には不正でほぼ形骸化。


ドラマ『商道』でサンオクが税や米を納めるのは、

国家が本来すべき「物価安定」「飢饉救済」を、商人が肩代わりしている状況

を反映しています。


④ 科挙・学校など教育制度

 規模は小さい。


⑤ 外交儀礼(中国・琉球など)

 朝貢・接待費用など。

 中国(清)への朝貢費用は重かった。


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■3. なぜ朝鮮は「国家の財布」が小さかったのか?


理由はシンプルで三つ。


 1.課税対象にできる人口が少ない(両班が多すぎる)

 2.徴税官が腐敗し、中央に届かない

 3.貨幣経済が弱く、税が物納中心で流通しにくい


結果として中央財政は常にギリギリ。


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■4. 徳川幕府との比較


あなたの感覚は正しいです。

**徳川幕府は「藩ごとの独立採算」**に近い構造でした。


●徳川幕府


 ・幕府=中央政府

 ・藩=地方政府

 ・それぞれが独立した財源(石高)と支出を持つ

 ・各藩は独自の行政組織と徴税システムをもつ

 → 財政が分散しており、徴税能力も比較的しっかりしている


●朝鮮王朝


 ・中央集権のはずだが、行政能力が弱く

 ・地方官がほぼ“私領主化”

 ・中央へ税が届かない

  → 形式は中央集権だが実態は「バラバラ」


徳川幕府の方が


 ・役人(武士)が公務員化しており

 ・物流・貨幣経済が発達

 ・藩で会計も記録される

つまり財政の透明度と徴税能力は日本の方が高かった。


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■5. 朝鮮は「国家の財布が小さく、地方の懐が大きい」社会


 ・中央は常に金欠

 ・地方官(守令)が徴税を握り、私腹を肥やす

 ・両班は税免除で負担せず

 ・常民だけが搾られる

 ・商人がしばしば国家の代わりに公共事業を担う

  (ドラマ『商道』でよく描かれる構図)


これが朝鮮後期の特徴です。


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必要ならさらに続けます


・朝鮮政府の「官僚数と俸禄の仕組み」

・朝鮮の軍事費はなぜ常に慢性的に不足したのか

・官職売買(賄賂)と財政の関係

・日本と比べて貨幣経済がなぜ発達しなかったか

など、どれでも説明できます。

次はどこを知りたいですか?


~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ChatGPT の回答は必ずしも正しいとは限りません。
重要な情報は確認するようにしてください。
(だらだら、思いつくままに続けます。)

※今回の感想

なるほど。『商道』『イ・サン』の場面を思い出すと
ChatGPT の回答が、腑におちます。

それにしても、少ない歳入を
「宮中の儀式、祭礼、料理、衣装・宮殿の維持費」に使ったんですね。。。

『イ・サン』で正祖が、「役人の数が多すぎる」と言ってたし、
王妃が「質素にできる時は質素に」と言ってた気がする。


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