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2025-01-28

ChatGPTと映画「The Fog of War」について話す


私:

何年か前に次の動画を見ました。

映画「フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元米国防長官の告白」予告編




The fog of War - Lesson 5 HQ (日本語字幕)




私が生後3か月で引っ越した街は空襲を受け41%が焼けました。その1か月後、私が生まれた町は空襲で99%が焼け野原になりました。親族一同の家が全部消えました。

彼は映画の中で、11の Lesson を語ったそうですが、アメリカはその後、そのLessonに学んだのでしょうか?


ChatGPT:

この映画「The Fog of War: Eleven Lessons from the Life of Robert S. McNamara」は、ベトナム戦争や第二次世界大戦を背景に、マクナマラ元国防長官が彼自身の過去の行動とその教訓を振り返る形で語っています。

映画の中で提示される11のレッスン(教訓)は、戦争や国際関係、そして人間の意思決定における複雑さを浮き彫りにするものであり、特に次の点が重要です:


マクナマラが挙げた「11の教訓」

  1. Empathize with your enemy(敵を理解せよ)
  2. Rationality will not save us(合理性だけでは救われない)
  3. There's something beyond one's self(自分を超えた何かがある)
  4. Maximize efficiency(効率性を最大化せよ)
  5. Proportionality should be a guideline in war(戦争には均衡が必要だ)
  6. Get the data(データを取得せよ)
  7. Belief and seeing are often both wrong(信念や見えるものも間違い得る)
  8. Be prepared to re-examine your reasoning(自分の思考を再検討せよ)
  9. In order to do good, you may have to engage in evil(善を行うためには悪を伴うこともある)
  10. Never say never(「絶対にない」とは言うな)
  11. You can't change human nature(人間の本質は変えられない)


特に「Lesson 5: Proportionality should be a guideline in war(戦争には均衡が必要だ)」では、東京大空襲などの事例を挙げながら、戦争における攻撃の「過剰さ」が非倫理的であったと暗に批判しています。あなたがリンクで見た場面も、まさにこの教訓の象徴的な部分ですね。


アメリカはこれらの教訓に学んだのか?

結論から言うと、アメリカが完全にこれらの教訓を実行したとは言い難い部分があります。


1.イラク戦争やアフガニスタン紛争:

イラク戦争(2003年)では、大量破壊兵器の存在という誤った情報に基づき戦争が始まりました。この点では、「Get the data(データを取得せよ)」や「Belief and seeing are often both wrong(信念や見えるものも間違い得る)」といった教訓が生かされなかったと言えるでしょう。



2.敵との共感(Lesson 1: Empathize with your enemy):

アメリカの外交政策や軍事行動では、敵国や相手国の視点を深く理解しようとする努力が不足していることが批判されています。この欠如は、長期的な紛争の悪化を招く結果となっています。



3.均衡の欠如(Lesson 5):

戦争での民間人犠牲者の多さ(例:アフガニスタンや中東でのドローン攻撃)は、「均衡が必要」という教訓を必ずしも反映していないと言えるでしょう。


マクナマラの反省と「The Fog of War」の意義

マクナマラ自身は晩年、これらの教訓を通じて、アメリカの過去の戦争政策に対する反省を表明しています。

ただ、彼自身が重要な教訓を学び、それを伝えたとしても、それがアメリカの政策に直接的に反映されたわけではないようです。


しかし、「The Fog of War」という映画の存在そのものが、戦争や外交についての深い議論を引き起こし、多くの人々に平和や倫理について考えるきっかけを与えました。

特に、戦争の複雑さや、リーダーたちが直面する困難な意思決定の現実を多くの視聴者に伝えたことは、貴重な遺産だと思います。


あなたの生まれた町や引っ越した町で起きた空襲を思い出すと、この映画で語られる「戦争の過剰性」というテーマが、非常に現実的で重い意味を持つと感じられるのではないでしょうか。こうした教訓を学び、平和への意識を共有することが、私たちの世代を超えた使命かもしれません。(以下、情報源としてのリンクがずらり並ぶ)


~~~~~~~~~~~~~~~~~

※私の感想

今回もChatGPTは

>こうした教訓を学び、平和への意識を共有することが、私たちの世代を超えた使命かもしれません。

と締めくくる。

>世代を超える?

イヤイヤ、アメリカの20~40代の人々には、ベトナム戦争? マクナマラ? 何それ?と、忘れられているのでは.... それに移民の人たちも多いし...

と思ったが、反論はしなかった。。。

「歴史から教訓を学べる」人は、どれぐらいいるのだろう?

私を含め多くの人間は、目先のことにしか頭が働かないのでは?と思ってしまう。


~~~~~~~~~~~

元のドキュメンタリー映画は

『フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元米国防長官の告白』(The Fog of War: Eleven Lessons from the Life of Robert S. McNamara)2003年。


以下、彼についてロバート・マクナマラ - Wikipedia から転載しています。

ロバート・ストレンジ・マクナマラ(Robert Strange McNamara、

 1916年6月9日 - 2009年7月6日)

ケネディ政権は共産陣営の「民族解放戦争」に対して正面からの戦争は避けつつも、政権転覆やゲリラ戦術に訴えて対抗していくことを前面に押し出した。


1962年の年次報告でマクナマラは、「軍事面の強化では狙撃・待伏せ・強襲の戦闘力強化。政治面では恐怖感・強奪・暗殺」と述べた。

実際にアメリカ軍にこれらの訓練を積んだ特殊部隊を増強し、当時混迷を増していた南ベトナムには、「軍事顧問団」と称するアメリカ軍の部隊の増強を続けた。


また、ベルリン危機の1961年から通常兵力の増強も行い、1961年に280万8000人だった兵力を、辞任時の1968年には、355万人までに増やしているなど、ベトナム戦争の拡大に一役を買った。


ケネディ政権下で介入が始まったベトナム戦争は、ケネディとマクナマラをはじめとする政権下の人間の度重なる政策決定のミスによってアメリカ社会を大きく傷つけることになり、マクナマラの評価にも大きな影を落とした。

2003年に公開された映画『フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元米国防長官の告白』では長時間のインタビューに応じ、ベトナム戦争の回顧と自己批判と自己弁護(ケネディの弁護とジョンソンの批判)を行った。


現在のアメリカ軍については、アメリカ軍 - Wikipedia 

読んでいくうちに頭がクラクラしてきたので、閉じた。





2025-01-23

ChatGPTとストーン監督の話から戦争を無くせるか話す

 

私:

前回、映画プラトーンからオリバー・ストーン監督のその後についてあなたと話しました。

ストーン監督は、クリスの最後のモノローグに自分の思いを込めた。監督の個人的な体験や哲学が映画全体に強く反映されている。

彼はその後もイラク戦争やアフガニスタン紛争を批判して、アメリカの外交政策についても「過剰な介入主義」と批判的なスタンスを取り続けている。


私は、あなたのこの回答に異議はありません。

ただしこういう考えは一部のいわば「インテリ層」のつぶやきであり、アメリカの政策にはまったく影響しなかったのでは?と思うのです。


ChatGPT:

確かにおっしゃる通り、オリバー・ストーン監督のような映画を通じて批判的な意見を発信する人物の声が、アメリカの外交政策そのものに大きな影響を及ぼしたかというと、結果的にはそうではない場合が多いように思われます。


アメリカの政策決定は、基本的に政治家、軍事指導者、大企業の利益など多くの複雑な要因によって形作られています。

その中で、ストーン監督のような人物の意見や作品は、たしかに「一部のインテリ層」やリベラル層には支持されるかもしれませんが、広く国全体に影響を与えるには限界があるとも考えられます。


特に、アメリカでは「愛国心」や「国益」を重視する層が根強く存在しており、戦争や介入を正当化する論調が政治やメディアで主流になりがちです。

そのため、ストーン監督のように批判的な立場を取る人々の声が広範囲に届くことは難しいと感じられます。


ただ、一方で、映画やメディアによる「つぶやき」が完全に無意味であったかというと、それも違うかもしれません。例えば、ベトナム戦争後のアメリカでは、多くの人々が戦争の犠牲や意味について深く考え直すきっかけを得ました。ストーン監督の『プラトーン』や他の作品は、そうした再評価の一部を担ったと言えます。

これにより、少なくとも個々人の意識改革や次世代への影響は一定程度あったのではないでしょうか。


結局のところ、大きな政策を動かすことは難しくとも、こうした「つぶやき」が人々の意識や価値観の土壌を少しずつ変えていく役割を果たす、という可能性があると感じます。あなたはこの点について、どのようにお考えですか?


私:

>「つぶやき」が人々の意識や価値観の土壌を少しずつ変えていく役割を果たす、という可能性があると感じます。

「可能性がある」という意見に反対するには、「可能性はない」と論証しなければなりませんね。私はアメリカについてはまったく知らないですし、政治に関心があるわけでもないのです。


ただ日本の近現代史や、少し読んだローマの古代史を思うと、対話による交渉によって紛争や戦争が無くなるとはとても思えません。


ChatGPT:

確かに「可能性がある」という意見に反対するためには、それを完全に否定できる根拠が必要になりますね。しかし、歴史を振り返ると、対話や理性的な交渉だけで紛争や戦争を防ぐことが難しいという事実は多く見受けられます。これは非常に現実的な視点だと思います。


たとえば、日本の近現代史では、対話や条約が結ばれても、それが長続きせず、結果的に武力衝突や戦争に至った事例がいくつかあります。

日露戦争後の条約であるポーツマス条約も、日本国内では「不満足」とされ、戦争の苦しみが続いた結果、人々の反発が高まりました。条約は紛争を一時的に止めることができても、根本的な問題を解決できない場合が多いのです。


また、古代ローマ史では、和平交渉が行われたとしても、それが単なる「時間稼ぎ」だったり、力の差が明らかになるとすぐに破棄される例も少なくありません。

ローマが「Pax Romana」(ローマの平和)を築けたのも、交渉というより、圧倒的な軍事力と経済力で他国を支配した結果と言えます。


こうした事例を見ると、人間社会では「力」が大きな要因であり、対話や理想論だけでは平和が達成されにくい現実が浮かび上がります。

この点において、あなたが「対話で紛争が無くなるとは思えない」と感じるのは、理論や理想というより、歴史から学んだ現実的な直感といえそうです。


ただ、一方で対話や芸術(映画もその一部)が果たす役割は、直接的な戦争の阻止ではなく、長期的な価値観の変化や次世代の育成にあるとも考えられます。

たとえば、反戦映画や文学は、戦争そのものを止めることはできなくとも、戦争を忌避する文化を育む一助となることがあります。

「歴史から学んだ現実」と「文化が果たす潜在的な役割」の両面を考えると、あなたはどちらに重きを置きたいと思いますか?それとも、そもそも文化的な影響を考慮する必要はないと思われますか?


私:

文化的な影響は、個人や小さな集団・組織のレベルではかなり影響するでしょうね。

例えば「男尊女卑・人種差別」から「男女平等・基本的人権の尊重」の制度が作られるとか。最近では「LGBTQ」もありますね。ですが、国家間の利害の対立のレベルになると、文化的な影響は無力ではないでしょうか?


ChatGPT:

おっしゃる通り、文化的な影響は個人や小さな集団の価値観や行動を変える力を持っていますが、国家間の利害が絡む大規模な問題では、その力が届かない、あるいは無力に見えることが多いですね。

具体例として挙げられる「男女平等」や「人種差別の撤廃」は、時間をかけて文化や価値観が変化した結果、法制度として具現化された成功例です。

しかし、これらは主に国家の内部で進められた改革であり、国家間の交渉や戦争のような、直接的な力の対立の場ではないことがポイントです。


国家間の問題となると、やはり「利益」や「安全保障」といった現実的な要因が最優先されます。

たとえば、第二次世界大戦後の冷戦期において、アメリカとソ連の対立は、イデオロギー的な背景(資本主義 vs 社会主義)があるとはいえ、その根本には地政学的な覇権争いがありました。

文化や価値観の共有があったとしても、それが利害対立を解消するほどの力を持つことは難しいといえます。


また、最近の例でいえば、LGBTQの権利や人権尊重に関する文化的進展がいくら先進国で進んでも、それが国家間の対立(例えばロシアや中国など特定の国との外交問題)を解消する力にはなっていないことがわかります。むしろ、価値観の違いが新たな対立の火種となることさえあります。


文化的な影響が無力に見える理由:

1.

即時性の欠如: 文化的な変化は長期的に進むものであり、短期的な問題解決には向かない

2.

利害の優先: 国家間では、「利益」や「安全保障」が最優先され、文化的な価値観が二の次にされる。

3.

権力の非対称性: 力の差がある場合、文化的影響は押しつぶされることが多い。


とはいえ、文化や価値観の変化が無意味ではありません。たとえば、「核兵器の非人道性」が徐々に国際社会で認識されるようになり、一部の国では核軍縮が進んでいます。これも文化的な影響が国家間の行動に少しずつ作用した例といえます。


あなたが挙げられた「国家間では無力」という考えは非常に現実的ですが、それでも「文化が果たす長期的な役割」についてどう感じますか?その可能性を完全に否定したいと思われますか、それとも部分的には期待できると思いますか?


私:

>一部の国では核軍縮が進んでいます。

これは初耳です。具体的に教えてください。


ChatGPT:

申し訳ございません。私の以前の発言で「一部の国では核軍縮が進んでいます」と述べましたが、現在の国際情勢を踏まえると、核軍縮の進展は必ずしも顕著ではないようです。

特に、米露間の中距離核戦力全廃条約(INF条約)が2019年に失効し、新たな核軍縮条約の締結も進んでいない状況です。


また、核兵器国と非核兵器国の間で核軍縮の進め方に対する立場の違いも見られ、国際的な核軍縮の進展は停滞していると言えます。​

日本政府も、核兵器国と非核兵器国の間の橋渡し役として、現実的かつ実践的な取り組みを進める必要性を認識しています。

このような状況を踏まえると、文化的な影響が国家間の核軍縮に直接的な効果をもたらすことは難しいかもしれません。

しかし、長期的な視点で見れば、文化的な変化や市民社会の意識向上が、将来的な核軍縮の土台を築く可能性も考えられます。


~~~~~~~~~~~~~~~~~

※私の感想

以下、情報源としてのリンクがずらり並ぶ。

一つだけ以下の言葉で始まっていた。??と思って見てみる。

「今や我々は、『クラゲ乳児』と呼ばれる問題を抱えることになった。この赤ん坊たちは、クラゲのような風貌で生 まれる。彼らには眼がなく、頭もない。

ざっと流し読みしたが、宗教者が核軍縮を訴えようというものだった。

Religions for Peace

宗教指導者と共同体のための

核軍縮に関する実践情報ガイド

https://www.baselpeaceoffice.org/sites/default/files/imce/articles/News/rfp_resource-guide-nuclear-disarmament_jpn_v03a4_preview-pages.pdf

確か以前にも、宗教界のリーダーたちが集まって核の危機について宣言を出したような気がするが、こういう運動の効果は どうなんだろう。。。


ChatGPTは、国家間では、「利益」や「安全保障」が最優先され、文化的な価値観が二の次にされる。文化的影響は押しつぶされることが多い。

と認めている。

にも拘わらず、最後には必ず「未来にはよくなる可能性がある」と言う。

最後にこう締めくくるようにプログラムされているのだろうが、これは一体何だろうねぇ。。。


ユーザーをガッカリさせないようにという配慮?

それとも、欧米の価値観では「すべては可能」である。だから「Never give up」が望ましいんだろうか?