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2025-08-22

夫 また、動けなくなる

 

5/18の記事 と同じようなことが起きた。


8/17夜、風呂上り。

またマラソンの後のような呼吸になって、

ヨロヨロ椅子に座り込む。


水を飲ませ、扇風機を回し、

しばらく経ってからようやくパジャマに着替え、

それでも2階に上がって行った。


8/18

朝9:40 1階に降りてきたが、

階段のところでまた倒れ、動けなくなった。

また、荒い呼吸。


クッションを当て水を飲ませ、顔を拭き、休ませる。

20分後ぐらいに手伝ってようやく体を起こす。

とりあえずソファに寝かせた。

が、ソファは体が沈んで、私の力ではなかなか起こせない。

力をふりしぼり起こして、

やっとすぐ近くの私の昼用のベッドに寝かせた。


体幹と足の脱力で、自力で体を動かせない。

ベッドに斜めにヘンな恰好だが、

そのまま眠ってしまった。


私は昼用と睡眠用の電動ベッドと2台使っているが、

今回はそれで助かった。

リビングと和室だけの狭い家で助かった。


前回と違うのは、ずっと眠っていたこと。

声をかけない限り、眠り続けていた。


午後かかりつけ医に往診してもらう。

とりあえず、翌日CTの予約がとれて検査依頼。

CTの結果は、10日後ぐらいと言う。あ~.....


夜、どうしてもパジャマを着ると言うので

子供に来てもらう。


「もう自分でできる」と言い張るので

椅子に座らせ、子供は傍で見守ったが、

足が上がらないので、なかなかズボンをはけない。


その間に、2回、横に倒れる。

子供が素早く支えなかったら、また頭を打っていたはずだ。


結局翌朝まで口にしたのは、

水少しと牛乳コップに半分、ビスケット2枚だけ。


携帯トイレはどうしてもダメと言うので、 

何度かトイレまでどうにか連れて行ったが、後は眠り続ける。


8/19

朝食は食べ、私の車いすに乗って

なんとかCTを撮って、昼過ぎ帰宅。

「よく寝たから、もう大丈夫。下のトイレは使いづらいから」と、私たちの反対を押し切って、2階に行った。


医師も私たちも、3日ぐらいは1階に居たほうがいいと思っていたが。


食欲ないと言うので、バナナ・お菓子など運ぶ。

水は2階のを使う。


夕方様子を見にいくと、TVもつけず、

スタンドだけの薄暗い所で眠っていた。

トイレは大丈夫と言うので私は降りる。

私も もうヘトヘトだ。


8/20

朝9:40 夫1階に降りてくる。

「やっぱり体調がおかしい」と言う。

それでもヒゲそり、洗面と一息いれながら済ませる。


朝食・昼食は食べたが、夕食は食べなかった。

バナナ・お菓子など持たせて 2階へ。


夜、素人ながら、原因を考えてみた。


5/16のCTで何ともなかったのだから

多分 脳の大きな異変はないだろう。

とすると、内科的な問題になる。

あるいは、薬?と浮かんで、

そう言えば、6月から「デエビゴ」を飲み始めていたんだ。


夫に確かめると、5mgの1/4から始め徐々に増やし、

8月半ばから実験的に、5mg飲んだと言う。


デエビゴの副作用には、

脱力。手のしびれ。倦怠。傾眠 などもある。


ひょっとしたら、

倒れやすくなっている老化の状態を、

デエビゴが後押ししたのかもしれない。


しかし、眠れているのに、

何故? 増量なんかするのだろう。

夫の思考が まったく理解できない。


とにかくデエビゴはしばらく止めて、マイスリーに戻すと、夫も言った。



今回のことで、

あらためて、子供が私に言った。


うちらの注意やアドバイスは 完全無視できた人だ。

今回のことで、いよいよ覚悟しなければならないと思ったと。


もう何か起きても、うちらには、どうしようもない。

お母さんが、24時間監視するなんて、不可能。

たとえば2階でゴトンと倒れ

運悪く、危機状態になるかもしれない。


だけど、それもそういう運命

本人が選んだこと。


僕はそう覚悟した。

残酷な話だけど、お母さんも覚悟しろ。


その時、その時のなりゆきで

対処していくしかないだろうと。


そうなんだろうか?

そうなんだろうな......


~~~~~~~~~~~~~~~~

以上、私事ですが

備忘メモとして書きました。m(_ _)m 

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2025-05-03

orz


夫・私。

それぞれ 次々 いろいろ起きる。 


夫はそれでも、食欲変わらず。

おやつ・コーヒーもしっかり。

ただ更に、ほとんどの時間は 横になっている。


私は 2日間 _| ̄|○ il||li


でも 泣いても 嘆いても、何も始まらない。

よろよろフラフラ 最低の家事を続けている。


偉いぞ 自分。と ここに、書いてみる。


5/7は かかりつけ医の訪問診療。

それに備えて 薬の下調べをしなければ。


ガンバレ 私。


年取っていくということは こういうことなんだ。

諦めて ガンバレ。


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2024-12-26

しばらく休みます

 

夫の診断結果がでました。

「やっぱりな。。。」でした。


1月半ばに 生検のための入院。

1月下旬2月に 手術の予定です。


自分のことさえままならない日もありますが

なんとか やっていくしかないですね。


多分 ブログを書くエネルギーも

気持ちの余裕もなくなると思います。


しばらく休みます。



2024-12-07

忘れてしまっていた落書き


今朝 早く目が覚めた。

久しぶりにまぁまぁだったので

2年ぶりぐらいに、写真を撮った。

朝の空の写真だ。


さっそく「好きなもの」というカテゴリーで

写真を投稿しようと思ったのに、

PCに取り込むためのカメラの蓋2つとも 開けられない。

しばらく試したが 諦めた。

何でも忘れてしまっている。


朝寝が30分できたので、昔撮った朝の写真でも探そうと

マイピクチャーを眺めていったら、

まったく覚えていない自分の落書き5つを見つけた。


2017年。72歳。 

へぇ~ こんなことを書いていたんだ。

今よりずっと

まだ気持ちの余裕があったんだなぁ。。。


朝の写真の代わりに、それをアップしています。

鉛筆の色が薄く字が読みにくいので

少しコントラストを強めたけれど やっぱり見にくいです。


~~~~~~~~~~
















私の心とからだは 自然に学んでいる?

何を思ってそう書いたのか... もう思い出せない。

~~~~~~~~
















年取った時に自分を甘やかさないで ほかにいつやる?
この言葉は 2008年ごろ読んだ本にあった言葉。

アメリカの心臓外科医が 自分が病気になったあと
ハワイに戻り
仕事一筋で過ごした人生をふりかえり しみじみと書いていた。

彼はもう1冊書いていて、昔ハンセン病患者が
モロカイ島に隔離された施設のことや
「カフナの教え」や
原住民のゆったりとした暮らしも書いてあって
なるほど・・・ と思った記憶がある。

「自分のよき友でいましょう」

これは
『モリー先生との火曜日』にあった言葉を思い出したもの。

心の自由と安全を!

心の安全はわかるけれど
心の自由とは 何を思い描いていたのだろう。


~~~~~~~~~
















左の絵は 3年間住んだ下宿の家の庭にあった
大きなハクモクレンの木を思い出して。

青い空に向かって咲く白い花々を 
何度 見上げたことだろう。


右の「遠くにあるわたしの海辺」は、
アンドリュー・ワイエスの
「海からの風」を思い出して書いたのだった。

30代のころは、ジャコメッティの彫像と
ワイエスの絵をよく眺めていた。

ワイエスの作品はいろいろあるが、
「海からの風」に一番心惹かれていた。

~~~~~~~~~~~~
















左の「春の日の野原でねころぶ」は
そんなふうに寝ころんだら 気持ちいいだろうなと思って。

右の絵は18歳の時の通学路を思い出して。

玉川上水緑道には、小川に沿って
ブナ・クヌギ・コナラ・サクラの木々が残っていた。
見上げると 木漏れ日がキラキラと見えた。


~~~~~~~~~~











これは どうして描いたのかわからない。

たぶん 髪型と顔のりんかく、表情を

機械的に組み合わせてみたのだろう。


この落書きを描いたのは2016年ごろ。

5つの写真を残したのは

このスケッチ帳を捨てる前に

いちおう写真で残しておこうと思ったからだ。

当時の写真には 処分したぬいぐるみや

小さな人形たちが撮られていた。