2024-12-07

忘れてしまっていた落書き


今朝 早く目が覚めた。

久しぶりにまぁまぁだったので

2年ぶりぐらいに、写真を撮った。

朝の空の写真だ。


さっそく「好きなもの」というカテゴリーで

写真を投稿しようと思ったのに、

PCに取り込むためのカメラの蓋2つとも 開けられない。

しばらく試したが 諦めた。

何でも忘れてしまっている。


朝寝が30分できたので、昔撮った朝の写真でも探そうと

マイピクチャーを眺めていったら、

まったく覚えていない自分の落書き5つを見つけた。


2017年。72歳。 

へぇ~ こんなことを書いていたんだ。

今よりずっと

まだ気持ちの余裕があったんだなぁ。。。


朝の写真の代わりに、それをアップしています。

鉛筆の色が薄く字が読みにくいので

少しコントラストを強めたけれど やっぱり見にくいです。


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私の心とからだは 自然に学んでいる?

何を思ってそう書いたのか... もう思い出せない。

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年取った時に自分を甘やかさないで ほかにいつやる?
この言葉は 2008年ごろ読んだ本にあった言葉。

アメリカの心臓外科医が 自分が病気になったあと
ハワイに戻り
仕事一筋で過ごした人生をふりかえり しみじみと書いていた。

彼はもう1冊書いていて、昔ハンセン病患者が
モロカイ島に隔離された施設のことや
「カフナの教え」や
原住民のゆったりとした暮らしも書いてあって
なるほど・・・ と思った記憶がある。

「自分のよき友でいましょう」

これは
『モリー先生との火曜日』にあった言葉を思い出したもの。

心の自由と安全を!

心の安全はわかるけれど
心の自由とは 何を思い描いていたのだろう。


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左の絵は 3年間住んだ下宿の家の庭にあった
大きなハクモクレンの木を思い出して。

青い空に向かって咲く白い花々を 
何度 見上げたことだろう。


右の「遠くにあるわたしの海辺」は、
アンドリュー・ワイエスの
「海からの風」を思い出して書いたのだった。

30代のころは、ジャコメッティの彫像と
ワイエスの絵をよく眺めていた。

ワイエスの作品はいろいろあるが、
「海からの風」に一番心惹かれていた。

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左の「春の日の野原でねころぶ」は
そんなふうに寝ころんだら 気持ちいいだろうなと思って。

右の絵は18歳の時の通学路を思い出して。

玉川上水緑道には、小川に沿って
ブナ・クヌギ・コナラ・サクラの木々が残っていた。
見上げると 木漏れ日がキラキラと見えた。


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これは どうして描いたのかわからない。

たぶん 髪型と顔のりんかく、表情を

機械的に組み合わせてみたのだろう。


この落書きを描いたのは2016年ごろ。

5つの写真を残したのは

このスケッチ帳を捨てる前に

いちおう写真で残しておこうと思ったからだ。

当時の写真には 処分したぬいぐるみや

小さな人形たちが撮られていた。



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