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2025-09-15

夫の徐脈に初めて気づく&9/18追記

 

9/12(金)


ブログの投稿(10:20分)直後に、夫2階から降りてきた。

でも足がヨロヨロで様子がおかしい。

「食べたくない。休む」と言って、顔も洗わず、また2階へ戻る。


12時半ごろ降りてきたが、やはりフラツキ気味。

水を飲ませたが荒い息で、私のベッドに寝かせた。


ふと思いついて、パルスオキシメーターで測ると、44拍。

徐脈だった。

夫の徐脈に初めて気づいたが、

以前から・・「ダルイ・ダルイ」と言い始めた3月ごろから

時々なっていたのかもしれない。


失神したり、倒れて動けなくなったのも、

素人の想像だけど、徐脈のせいだったのかもしれない。


午後2時すぎに、往診を頼んだ。45拍で「徐脈」だった。

「すぐには心配ない。2階へ上がっても大丈夫。

 少し動いた方が脈も上がるから。

 火曜日にでも心電図撮りにきて。

 30拍台になったら、また電話して」

と言って帰られた。


医師の言葉に、やっぱり2階で寝ると言い張って、戻る。

トイレだけは、何とか行けたので、私は諦めた。

結局、その日食べたのは、バナナ1本とお菓子少し。


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9/13(土)


夫、9時ごろ降りてきたが、また息荒く、40拍。

朝動けなくてモタモタしていたら、ベッドの中で尿漏れしたと言う。

ソファでしばらく休んで、そのままバナナ1本とお菓子持って、2階へ戻る。


洗濯機、3回回して 干す。


午後、子供が様子見にきたが、

「ダメだ。ぼ~っとして頭に血がまわっていないみたい。

 何を言っても、わからんと言うし、目がうつろだ。

 もうちょっと回復してから話をするしかない」と言った。


どうしても2階で寝ると言うので、

夕方、ヒゲソリほかいろいろ2階へ運び、

ベッドから手が届くように置台を置いたり、椅子を移して、整理する。


夫、片付けをほとんどしないので、

ベッド周りは冬のオイルヒーターや電気カーペットやら放置。

それを片付けたり、アレも持ってきてと追加があったりで、

結局3回、上ったり下りたり。


夜、ヘトヘトになって、もうこんなの続けられない。

私が倒れそう...と、悲しくなる。

夫、結局その日も1日中、40~43拍が続いた。

酸素濃度は 90~97%。


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9/14(日)


私、昨日からビソプロロールと、

リーゼ2回飲まないと、体が動かなくなった。

夫に、「私はもう2階へ行く力がない。しばらく1階で過ごして」と、話す。


子供に頼んで、夫のものいろいろを下へ運び、

リビングのベッド周りを用意してもらった。

「2~3日は下で過ごすんだよ」と言ったら、「わかった」と返事した。


朝のパンと牛乳だけは食べたが、夫の食欲 まだ戻らない。

ずっと横になって、ただ、10分おきぐらいに

パルスオキシメーターで測っては、ノートに書いている。

徐脈はつづく。36拍~45拍の間。


夫、夕方になったら、やっぱり2階で寝ると言いだした。

あれこれ理由を挙げて、しまいには

「病気の人間が、なんで我慢しなきゃならないんだ」と怒る。


もう開いた口がふさがらない。

言い合いしても、お互いに血圧上がるなと思って、

行かせることにした。


何か少しでも食べたらとすすめ、

卵がゆを作ると半分と、おかず少し食べた。

戻り際に、私はもう2階へは行けないよと念を押したら、

「わかってる。明日の日中は下で過ごすから」と。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


9/15(月)


朝降りてきて、夜中にまた尿漏れたと言う。


今までずっと、枕元のスタンドをつけてからトイレに行ってたのに、

そうするのを思いつかなくて、暗い中で

ドアがどこにあるのかわからなくて、モタモタしてたと言う。


自分でも「おかしくなってる」と言ったが、

私もワケがわからない。


寝室のドアをいつも少し開けていたのに、

昨夜はなぜか閉めたようだ。

廊下にはセンサーの足元灯があって、すぐつく。

ドアさえ少し開けておけばよかったのだけど。


ただ、昨夜から、脈拍は75~85拍に上がっていた。

ただし、食欲はやはり、あまりないと言う。


今日は下で過ごすかなと思っていたが、

朝食とコーヒー飲んだら、2階へ戻った。


昨日は私、頭にきていたが、

考えてみると、夫の言い分もわかる。


夫が言うには、

自分がいくらガチャガチャ音を立てても、

自分のは気にならない。

でも他人が音を立てると、ウルサイ。

食器を洗う音も、PCのキーボードのカタカタもウルサイ。


20代からずっと、長時間

「自分の部屋で一人ですごしてきてる」から、

その環境以外になると、ストレスになるのだろう。


明日はかかりつけ医で心電図を撮るが、

徐脈は出ない可能性が高そうだ。

これから、どうなるんだろうな.....


3日間 私もストレスで一杯だったが、

今は、ブログを書けるようになった。


さて、昼のおかずは昨日の残りに豆腐ハンバーグで済ませる。

夜のご飯も簡単なものにしよう。

夫があまり食べないので、2回おかずを捨てた。

今日は少なめでいいだろう。

~~~~~~~~~~~~~~~~


9/18(木)追記


9/16日 心電図を撮った時は80拍。

医師の言葉では

「問題なし。また40拍台になっても、普通に過ごしていい。

 数日食べなくても大丈夫。ペースメーカーの対象は、

 30拍台がずっと続いた時で、今は対象外」ということだった。

やれやれ やっぱりだった。


医師の判断はそうだが、75~85拍でも、

夫はしょっちゅう座り込んで休まないと動けない。

とても普通に過ごしてはいないし、自分のことしかできない。

でもこのへんの事は、医師から見ると

「それで十分、普通に過ごしている」ことになるのだろう。


まぁ、当分は私が頑張っていくしかないようだ。

「自分のできる範囲でやるんだよ」と 今日は自分に言い聞かせた。

壁に貼っておこう。

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2025-09-12

夫の再発。老いるのもナカナカだ。

 

夫、今度は、膀胱にガンが見つかった。

まだ詳しい話は聞いていないが

夫の場合は、「膀胱内再発」になるのかも。

来月 内視鏡での手術になった。

今回は 3~4日の入院で済むらしいが、

本人は内心 どう思っているか。。。


~~~~~~~~~~~~


1日2~3回は、

2階から「ゴトン」という音がひびく。

そのつど様子を見に行く脚の力はないから

何の音? と耳だけ澄ませるが

今は 下から尋ねもしない。

「いちいち、うるさい」と怒られるだけだから。


3年位前から、癇癪を起すのは減ったけれど

私が何か言うと、9割は 不機嫌になる。

こちらからは用事だけ伝えて

あとは 何も言わない方が

お互いのストレスにならない とわかった。


それでもまた うっかり話しかけて

何度も 苦くなる。


夫にかかる手間は だんだん増えてきた。

汗っかきではあったが

どういうわけか 尋常じゃない汗っかきになった。

毎日風呂かシャワーを使い、

汗をかくたびに下着もすぐに着替えているのに

朝降りてくると もう

加齢臭と汗臭さの匂いがする。


夫は子供時代からの蓄膿症で 嗅覚は悪い。

だから自分の体臭はわからないから

それを指摘はしない。


もっとも一般に

「自分の体臭は気づかない」ものらしい。

ある時子供が言った。

リビングに入ると「お母さんの体臭もするよ」と。

まぁ子供は鼻がいいけれど。


家は24時間換気になってるし、

自分では気づかなかったが

寝具や身体から 体臭が蒸発しているのだろう。


しょっちゅう着替えるから

前より、洗濯の回数が増えた。

2日に1回は洗濯して干さなければならない。

毎日昼ごはんを作る。

土日は 昼食と夕食を作る。


最近夫の食欲がもどり、

食器洗いだけはしてもらえるようになった。

でもたまには 水回りの掃除や

床の掃除もしなければならない。


ヨタヨタ 時々ふらつきながら

こんな些細な家事をするだけで

もうへとへとだ。


グダグダ グチを書いてしまったが、

「老い、病みながら生きる」というのも

ナカナカのもんだな..... と思う。


すべて「自然な変化」で

それぞれの人が「自分の変化」を受け入れ

生きていくしかないのだけれど

「自分の変化」だけでなく

「一緒に暮らす人の変化」を眺めていくのも

ナカナカのもんだ....と思うようになった。

70代・80代の方の

老々介護のブログをたまに拝見するが

偉いもんだと、感心するばかりだ。


夫を変化を見ていると

私のゆきさきは、どうだろうと思ってしまう。


今の状態でさえ やっと持ちこたえているのに

「ガンです」と言われようものなら

それに立ち向かう気力など ありそうにない。


~~~~~~~~~~~~~~


考えてもムダだから 考えるまではいかないが

それでも現実から目を背けたいのだろう。

TVを買ってから

ファンタジーの中国古装ドラマを見るようになった。


たまには神々や仙人の世界の話さえあるが、

多くは古代~清王朝のフィクションだ。


主人公は 子供時代にワケがあったりする。

誰にも言わないそのワケを背負いながら

大人になっても 次々に試練がくる。


たいていの場合

主人たちだけはハッピーエンドで終わる。

「清越坊の女たち~当家主母~」や

「如懿伝」のように

別れで終わる場合もあるが、

仲間になった脇役は 亡くなることが多い。


陰謀。策略。攻撃。権力者の圧政。

そこへ一般人や奴隷たち、老いた親族などがからむ。

師弟の関係もでてくる。


どうこの状況を潜り抜けるかが 主なテーマになるが、

合間に 犠牲、別れ、愛憎などもでてきたりしてなかなか複雑だ。


主人公たち(男女)には、自分を守るための知恵や根性。

周りを説得して味方にする

理詰めのスピーチ能力が要る。

おまけに男性なら 武術も必要になる。


言ってみれば

ある種の「成長物語」になってもいる。


こういうドラマが繰り返し作られ、見られるのは

「苦労しているのは自分だけじゃない」

と 確認できるからかもしれない。


背景には

ある程度時代考証されただろう

自然の風景や住まい・暮らしが見える。

それをぼんやり眺め

現実逃避するのが 今唯一の息抜きだ。


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2025-08-28

夫のCT結果&結局原因不明

 

8/27 

夫、内科クリニックかかりつけ医を受診。

CT結果は、予想どおり「異常なし」。


以下、レポート:


 慢性虚血性変化を疑うが、

 5/16の検査所見と変化なし。

 症状と結びつく異常はみられない。


「慢性虚血性変化」なら、私も3年前、B病院のMRI検査で指摘された。


 ・前頭葉の萎縮

 ・脳血流の低下

 ・右基底核に陳旧性ラクナ梗塞

  (脳の深いところの細い血管が詰まった)

 ・大脳白質に軽微な慢性虚血性変化あり


これらの変化は、加齢によって多くの人に見られるようだが、

問題は、その程度ということらしい。


たまたま受けたB病院のレポートは詳しかったが

N病院のレポートは、いつもあっさりしている。


ーーーーーーーーーー


今回は私が夫の様子を書いたメモを渡した。

医師の回答も書いてもらった。

以下は、回答。


 ・CT結果は 異常なし。

 ・デエビゴは 中止でいい。

  ゾルピデム(マイスリーの後発薬)を処方する


 ・降圧剤は 夫がイヤがるなら止めていい。

 ・1週間続くたんがからんだ咳に対しても、

  夫が言うように、そのまま何もしなくていい。


~~~~~~~~~~~~~~~~~


これまで4回夫が倒れたが、

結局 医師から見ると

「原因不明の症状」ということになるのだろう。


確かにその後しばらくすると動けるし

食事・睡眠などは変わりない。


でも、明らかにグッと 疲れやすくなっている。

足はおぼつかなく よちよち歩きだし、

ゴミ出しもできなくなった。

たま~に外に出ても

40mぐらいのところで息が切れ戻ってくる。

旺盛だった食欲は ムラが出てきた。


家の中で 自分の身のまわりの事はできるが

PCは見なくなったし、本も まったく開かなくなった。

ずっと横になって TVを入れて

時々ウトウトしている。


私から見ると 何か内部で変化があったはずだが。

でもまぁ、そういうものなんだろう。


検査で異常がなければ、

「原因不明」と言うしかないだろう。


慢性疲労症候群の症状を

私も10年間、3人の医師に訴えたが

「気のせいだろう」とか「心理的なものからくるのだろう」と言われた。


12年前、四肢麻痺発作で救急入院したときも、

その後の下肢の脱力発作についても 結局 原因不明だった。


明らかな検査所見がなければ、

医師がそう返すしかないのは よくわかる。


夫の変化も たぶん

「加齢・老化」の変化にすぎないのだろう。


もう この件については 考えないことにした。

今は なんとか頑張って 私が最低の家事をこなしている。

が、いつまでこの状態で続けられるかわからない。


介護サービスを利用してこなかったのは、

夫が「他人を家の中に、絶対入れたくない」と

拒否してきたからだ。


でも それも考えないことにする。

今 考えたところで 意味がない。


時がきて せっぱつまったら

夫がイヤがっても

私が押し切るしかないんだろうな。。。


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2025-08-22

夫 また、動けなくなる

 

5/18の記事 と同じようなことが起きた。


8/17夜、風呂上り。

またマラソンの後のような呼吸になって、

ヨロヨロ椅子に座り込む。


水を飲ませ、扇風機を回し、

しばらく経ってからようやくパジャマに着替え、

それでも2階に上がって行った。


8/18

朝9:40 1階に降りてきたが、

階段のところでまた倒れ、動けなくなった。

また、荒い呼吸。


クッションを当て水を飲ませ、顔を拭き、休ませる。

20分後ぐらいに手伝ってようやく体を起こす。

とりあえずソファに寝かせた。

が、ソファは体が沈んで、私の力ではなかなか起こせない。

力をふりしぼり起こして、

やっとすぐ近くの私の昼用のベッドに寝かせた。


体幹と足の脱力で、自力で体を動かせない。

ベッドに斜めにヘンな恰好だが、

そのまま眠ってしまった。


私は昼用と睡眠用の電動ベッドと2台使っているが、

今回はそれで助かった。

リビングと和室だけの狭い家で助かった。


前回と違うのは、ずっと眠っていたこと。

声をかけない限り、眠り続けていた。


午後かかりつけ医に往診してもらう。

とりあえず、翌日CTの予約がとれて検査依頼。

CTの結果は、10日後ぐらいと言う。あ~.....


夜、どうしてもパジャマを着ると言うので

子供に来てもらう。


「もう自分でできる」と言い張るので

椅子に座らせ、子供は傍で見守ったが、

足が上がらないので、なかなかズボンをはけない。


その間に、2回、横に倒れる。

子供が素早く支えなかったら、また頭を打っていたはずだ。


結局翌朝まで口にしたのは、

水少しと牛乳コップに半分、ビスケット2枚だけ。


携帯トイレはどうしてもダメと言うので、 

何度かトイレまでどうにか連れて行ったが、後は眠り続ける。


8/19

朝食は食べ、私の車いすに乗って

なんとかCTを撮って、昼過ぎ帰宅。

「よく寝たから、もう大丈夫。下のトイレは使いづらいから」と、私たちの反対を押し切って、2階に行った。


医師も私たちも、3日ぐらいは1階に居たほうがいいと思っていたが。


食欲ないと言うので、バナナ・お菓子など運ぶ。

水は2階のを使う。


夕方様子を見にいくと、TVもつけず、

スタンドだけの薄暗い所で眠っていた。

トイレは大丈夫と言うので私は降りる。

私も もうヘトヘトだ。


8/20

朝9:40 夫1階に降りてくる。

「やっぱり体調がおかしい」と言う。

それでもヒゲそり、洗面と一息いれながら済ませる。


朝食・昼食は食べたが、夕食は食べなかった。

バナナ・お菓子など持たせて 2階へ。


夜、素人ながら、原因を考えてみた。


5/16のCTで何ともなかったのだから

多分 脳の大きな異変はないだろう。

とすると、内科的な問題になる。

あるいは、薬?と浮かんで、

そう言えば、6月から「デエビゴ」を飲み始めていたんだ。


夫に確かめると、5mgの1/4から始め徐々に増やし、

8月半ばから実験的に、5mg飲んだと言う。


デエビゴの副作用には、

脱力。手のしびれ。倦怠。傾眠 などもある。


ひょっとしたら、

倒れやすくなっている老化の状態を、

デエビゴが後押ししたのかもしれない。


しかし、眠れているのに、

何故? 増量なんかするのだろう。

夫の思考が まったく理解できない。


とにかくデエビゴはしばらく止めて、マイスリーに戻すと、夫も言った。



今回のことで、

あらためて、子供が私に言った。


うちらの注意やアドバイスは 完全無視できた人だ。

今回のことで、いよいよ覚悟しなければならないと思ったと。


もう何か起きても、うちらには、どうしようもない。

お母さんが、24時間監視するなんて、不可能。

たとえば2階でゴトンと倒れ

運悪く、危機状態になるかもしれない。


だけど、それもそういう運命

本人が選んだこと。


僕はそう覚悟した。

残酷な話だけど、お母さんも覚悟しろ。


その時、その時のなりゆきで

対処していくしかないだろうと。


そうなんだろうか?

そうなんだろうな......


~~~~~~~~~~~~~~~~

以上、私事ですが

備忘メモとして書きました。m(_ _)m 

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2025-05-18

夫と私のこと&追記訂正

 

2月下旬、夫は片一方の腎臓と尿管を摘出した。

結局、ステージ3で、転移の可能性は低いらしい。


なぜか3月から一段と ダルい、ダルい、ダルいと訴える。

食事とコーヒー・歯磨き・入浴以外は、下に降りてこない。

ほとんどの時間は 横になって昔々のドラマを見ているらしい。

時々めまいや、足フラフラ感を訴えていた。


4/19(土)夕方

私には黙って、ごく短い散歩に出た。

本人は、足の様子を確認したかったらしい。

ゆるい坂を10m降りて、戻ってくる途中で息切れ。


道路脇の小さなところに座ったとたん意識が無くなり、

前のめりに倒れ 頭と肩を打った。意識はすぐ戻ったようだ。


肩の骨は大丈夫だったが、頭の傷からかなり出血。

血まみれになって帰ってきた。


子供と相談したが、興奮して話しているし、

動いているから「様子見でいこう」になった。


その後、入浴中にも1回、意識が無くなって倒れたらしい。

が、私はまったく知らなかった。


5/10(土)夜

入浴後裸のまま、椅子に腰かけたのは知っていた。

その後「ゴトン」と音がして、夫が仰向けに倒れていた。


私はベッドでタブレットを見ていた。

どんな倒れ方をしたのかわからないが、呼びかけても返事しない。


目は開いているが、視線は動かず。

尋常じゃない荒い息をして、下あごだけが不自然に横に動く。

後頭部をさわったが傷はない。


とりあえず枕を当てて毛布をかけたが、その状態が8分つづく。

すぐ子供に電話。

多分10分後には意識は戻った。

夫は「起きる」と言うが、起き上がれず。


20分ぐらい経ってからようやく起き上がり、椅子に腰かける。

水を飲ませると、暑いと言って、扇風機を持ってこさせ、風に当たる。


子供はたぶん、軽い熱中症のような状態になったのではないかと言うし、夫も「医者には行かない」と言うので、その日はそれで終わった。

が、私は気になってよく眠れなかった。


結局、3週間で、3回意識が無くなり倒れたことになる。

私の頭には、3回目の様子がまざまざとよみがえり、軽いトラウマになった。


月曜日。ついに私が騒ぎ、夫も「なんかおかしい」と思ったようで、自ら「総合病院への紹介状を頼む」と言い出した。


かかりつけ医は緊急かも?と思ったようで、

5/16に脳神経内科の予約がとれて受診。循環器にも回されたとか。


脳のCTでは特に問題なし。

子供の言う通り、「暑くなると倒れるのだろう」と言うことになった。


医師の注意は:

・厚着をさせない

・暑い時は散歩に行かせない。

・風呂はぬるめで

・風呂上がりに倒れてもいいように、床にふとんを引いてそこで着替える

 (これは実際にやってもらうと、パンツやステテコがはけない。ひっくり返りそうになる。やっとはいても、今度は椅子につかまっても立ち上がれない。医師の思い付きは無理とわかった)

以下、追記訂正:訂正します。

医師からは、椅子で着替える時に、横に倒れてもいいように椅子の横にふとんを置いとく、と指示されたそうです。

ブログ投稿後に2回、上でゴトンと音がした。
私は簡単には2階へあがれない。
階段下から尋ねると、起き上がる時に足がもつれ、たたらを踏んだらしい。
今は床にごく薄いふとんを敷いて、寝た姿勢でTVを見ている。
そこでTVをベッドで見るようにしたらどうかと子供に電話で相談した。

電話で話していて、私が勘違いしていたことがわかった。
大体、床に座ってパンツをはくのがどんなに難しいかわからないの?と言った。

あ~、私の無知と勘違いもだんだんひどくなっているようだ。

そして、我ながら、ブログで正確に説明できていないのもわかる。
つまり言葉を使う頭も 悪くなってきているのだ。


夫は、50年前に「完全右脚ブロック」とわかっていたが、その後特に、検査はしてこなかった。今回循環器の話では、

もう1本(私の推測では、左脚)が細くなり弱ってきている。こちらが切れるようになると「ペースメーカー」が必要。経過観察のために3か月後にくるように だった。

血液検査でも いつもの血糖と中性脂肪だけが問題だったようだ。


医師から見れば、

結局 老化ということになるのだろう。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~


夫は、私や子供が何か言いかけるとすぐ顔をしかめる。

干渉する、強制する、非難すると反射的に思い、

すぐに屁理屈の反論をする。


昔々から、私と子供たちには「殿様」として威張ってきた。

絶対、自分の思うことを要求して、

私たちの訴えに耳を貸さないというか、

まったく理解できないようだった。

自分がしたいように暮らしてきた。


が、ここにきて、更に筋金入りのガンコになった。

こちらの意見には、いや医師の意見に対してさえも、

自分のしたいことと違えば、

「自分の体のことは、自分が一番知っている」と言って、聞き入れない。


今回のことで、夫は「軽度認知障害」から

「認知症の段階」にすすんでいるのではないか と感じた。


物忘れが更にひどくなっていたのは気づいていたが、

1~2分前に言ったことと矛盾することを平気で強く言いはる。


「あんたが呆けているんだ」「人の話を聞いてない」と攻撃する。

つじつま合わせの作話もする。

ぐちゃぐちゃ並べてぼやいたが、どうにもならない。


子供は、結局 人間とはこうなっていくものだ と言う。

ましてや あの夫のことだから、好きにさせるしかない。

それで何か起きても、それは仕方がないと諦めることだと。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~


私はいろいろ増えた症状で、

4月~5月は去年6月の最悪期につぐ具合の悪さだった。

今は余裕ができて考えないが、2回「安楽死」が頭に浮かんだ。

でも、日本では 100%不可能だ。

いいのか悪いのかわからないが、ティプトリー・ジュニアを思い出した。


ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア - Wikipedia

 (1915年 - 1987年)

私はごく平凡で才能もない日本人だ。

彼女の思考も内面に抱えていたという感情的問題もまったく理解できない。

が、自ら選ぶという行為に感嘆する。


本を読んだことはないし、どんな人なのかも知らないが、

なんとなく好きではなかった西部 邁(1939年 - 2018年) 。

が、その最後にも、少し共感した。


一方、最後まで生き抜いた、フリーダ・カーロもいるけれど。。。

フリーダ・カーロ - Wikipedia

 (1907年 - 1954年)

老いと痛みを生きるには、

冷静さと、知恵と、耐える力が必要だ。

現実を忘れ、何かに打ち込む時間も必要だ。


それを胸に、文字通り 何度も 刻め。

そして 人の老化は

あらゆる面ですすむと覚悟しておく。

そして、何か言う前に、それが適切かどうか 一旦 考えること。


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