私:
朴正煕政権時代では、ほかに
ジャイアント (テレビドラマ) - Wikipedia を見ました。
当時は興味深く見ていたはずですが、昔のことでもうおぼろげです。
なので、ここ3年位で見たドラマから時代を順に遡っていきます。
李朝が傾き始めるころのドラマでは、
まず、商道 - Wikipedia ですかね。
実在した林尚沃(イム・サンオク、1779~1855)の人生を描いたドラマです。
22代正祖(1752~1800)と23代純祖(1790~1834)・24代憲宗(1827~1849)・25代哲宗(1831~1864)の時代に、北方の義州を舞台に活動したようですね。
話は飛びますが、
正祖のドラマ、イ・サン - Wikipedia や、
哲宗のドラマ、哲仁王后〜俺がクイーン!? - Wikipedia も面白かったです。
両方とも フィクション込みで、
特に『哲仁王后』はコメディ仕立てです。そこが楽しめたんですが。
哲宗の後は、26代高宗(在位:1863~1897)で、李氏朝鮮は終わります。
高宗 (朝鮮) - Wikipedia を読むと、
国内は疲弊し、甲午農民戦争 - Wikipediaのほかにも、
対外的に次々に事件が起きたようですね。
結論だけ先に言うと、
『風と雲と雨』のように “朝鮮からロシアに渡って村を作る” という展開は、
完全に荒唐無稽ではなく、実際に似た事例はある、という位置づけです。
ただし、ドラマの描き方はだいぶ「物語向けに加工」されています。
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■ 朝鮮→ロシアへの移住は、19世紀末〜20世紀初頭に実際に起きた
歴史的事実として、
沿海州(ロシア極東)には大量の朝鮮人が移住して村を作った
という記録があります。
● 理由
・ 李朝末期の混乱(飢饉・税の重さ・内紛)
・ 日本・清・ロシアの三国の圧迫
・ 国境地帯の治安悪化
・ ロシア側が「農業労働力」として受け入れた
・ 国境が緩く、移動が比較的簡単だった
特に**豆満江(トゥマンガン)・鴨緑江(アムノッカン)**を越えた北側は、
住み着く余地があり、村ごと移動するケースもあった。
この移住者はのちに
「高麗人(コリョサラム)」
と呼ばれ、今も中央アジア・ロシアに大きなコミュニティが存在します。
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■ ただしドラマの描写は“簡単すぎる”
『風と雲と雨』では、
「危険から逃れてロシアに行き、村を作り、比較的安定して生活できる」
という流れになっています。
これはフィクション寄りです。
現実はもっと過酷で、
・ 冬が非常に厳しい
・ 土地開墾が大変
・ ロシア側行政との摩擦
・ 食糧不足
など、“生き延びるだけで必死” という環境でした。
さらに後年(1937年)、
スターリンによる朝鮮人全員の中央アジアへの強制移住が起きて、
ロシア沿海州の朝鮮人社会は壊滅します。
つまり、
「ロシアで安住の地をつくる」という夢は、
最終的には歴史の中で壊されたわけです。
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■ 緑豆の花と重なるポイント
『緑豆の花』は**甲午農民戦争(東学党の乱)**を扱っています。
この反乱の後、朝鮮社会は大きく崩れ、
国外へ逃げる人が増えます。
その流れと、沿海州移住の時期が部分的に重なります。
だから
「ロシアへ移住」というドラマの設定は、完全な荒唐無稽ではない
という理解でよいです。
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必要なら、
・ 高麗人(コリョサラム)がどう生きたか
・ ロシア移住と朝鮮末期の混乱の関係
・ ドラマに反映されている部分/されていない部分
なども、追加で整理できます。
他に疑問があれば続けてどうぞ。
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