『商道』に出てくる清との商売・清の様子について、ChatGDPに訊く の続きです。
私:
あなたの回答にある
「公商」「実態は密貿易だらけ」
「清側の税関がゆるくなる」
「朝貢使節とその随行商人」などは、ドラマにも出てきましたね。
あなたの提案したテーマ、全部興味がありますが、
まず「清と日本幕末の経済比較」について、大まかに教えて下さい。
中国のドラマでは、「清の皇帝は、天下を治める」というセリフが出てきます。
東アジアで言えば確かに清は超大国でしたが、
1850年代以降、日本は「黒船」から、
開国に向けて変わっていったのに対し、
清はグダグダのまま後退した感じがあるのですが。
ここで扱う1850年前後は、清も日本(幕末)も外圧を受けて揺れ動き始める時期ですが、両者の「出発点」と「制度の癖」がまったく違うため、結果が大きく分かれました。
中学生向けの平易な言葉で説明します。
1)清と日本は、もともとの「国のつくり」が違う
● 清(中国)
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皇帝がすべてを握る“巨大な中央集権の帝国”
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面積・人口が世界最大級で、地方は半独立状態の場所も多い
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行政は巨大だが、情報伝達が遅い
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税の取り方が硬直していて、財政改善が難しい
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経済は巨大だが、外との貿易は厳しく制限(公行制度など)
→ 国が大きすぎて、制度が古くなると一気にガタつく。
● 日本(幕末)
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各藩が力を持つ“分権状態”
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幕府は弱っていたが、藩レベルでの改革(例:薩摩・長州・佐賀)が可能
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町人経済(商人・職人)が発達
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貨幣制度は混乱していたが、藩ごとの金融や商業の競争が生まれやすい
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島国なので外圧は遅れて到来
→ 中央が弱っても、地方が勝手に動きやすい。柔軟性があった。
2)1850年前後:両国に何が起きていたか
● 清:アヘン戦争のショックで失速
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1840年代のアヘン戦争で、軍事も財政も崩れた
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アヘン流入で銀が流出し、国家財政が弱る
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税収が減り、地方官僚の腐敗が進む
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「太平天国の乱」(1851〜)という内戦で国土が大破壊
-
巨大な国家ゆえ、改革しようにもスピードが遅い
→ 外圧+内乱+財政悪化の三重苦。
● 日本幕末:外圧でショックは受けるが、対応の速度が全然違う
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1853 黒船来航
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幕府は弱まりつつあったが、薩摩・長州などの藩が独自に軍備の近代化
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商人・武士・藩が入り混じって経済が動く
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外国との貿易で利益を狙う動きが各地で加速
-
欧米の技術・情報を急速に吸収
→ ショックは受けたが、各地がバラバラに改革を始めたので動きが速い。
3)なぜ日本は「加速」し、清は「後退」したように見えるのか
理由① 日本には“競争する藩”があった
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清は巨大な中央機構のため、改革は上からしか動かない
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日本は、薩摩・長州・佐賀・水戸などが勝手に近代化
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幕府より藩のほうが先に蒸気船や大砲を導入
→ 「中央がダメでも地方が動く」仕組みが日本にはあった。
理由② 清は領土が広すぎて、情報と改革の速度が遅い
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北京から広東へ命令が届くのに数か月
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反乱(三千万〜一億規模の死者と言われる)の鎮圧にエネルギーを吸われる
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アヘンによる財政悪化で軍の近代化が進まない
→ 国が巨大すぎると、制度の劣化に対応できない。
理由③ 清の政治思想が保守的すぎた
-
皇帝は“天下の主”であり、外国を対等と見ない
-
欧米に対して外交感覚が遅れ、技術導入も後回し
-
「中体西用」(文化は中国、技術は西洋)という妥協的改革でスピード不足
→ 体面を重んじ、徹底改革ができなかった。
理由④ 日本は外圧を逆に利用した
-
“開国=危機”と同時に、“チャンス”と捉える商人・藩が多かった
-
貿易から得た銀で軍備を強化
-
武士層の危機感が改革のエンジンになった
→ 日本は危機をバネにして、清は危機に押しつぶされた。
4)あなたの印象「清は超大国だったのに後退した」について
この理解は大きくズレていません。
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18世紀の清は世界最大級の経済力を持っていた
-
しかし19世紀に入ると、人口爆発 × アヘン流入 × 官僚腐敗 × 外圧で国力が急低下
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日本は逆に、外圧をきっかけに近代化へ舵を切った
つまり
1750年:中国は巨大先進国、日本は周縁の島国
1850年:両者の差が縮まり
1900年:立場が逆転した
という流れです。
さらに深掘りしたい部分があれば指定してください。例えば:
-
太平天国の乱はなぜあそこまで巨大化したのか
-
清の財政構造はなぜ改善できなかったのか
-
日本の藩がどのように軍事改革を進めたのか
-
商人階層の役割の違い(清 vs 日本)
どこからでも続けられます。
結論から言うと、
-
**「借金もした」**は正しい
-
ただし 「全部が借金」ではない
-
そして その借金を返せた背景に、貿易で得た外貨(主に銀)があった
という話です。順にほどきます。
1)まず前提整理:「銀で軍備を強化」とは何を指すか
ここで言う「銀」は、
**国際取引に使えるお金(外貨)**くらいの意味で考えてください。
当時の世界貿易では
-
金・銀
-
もしくは銀と交換できる商品
が事実上の決済手段でした。
日本国内の両替商の帳簿上のお金では、
蒸気船も大砲も買えません。
2)あなたの言う通り:最初は「借金」で買っている
薩摩・長州・佐賀などは、
-
イギリス
-
フランス
-
オランダ
から、
-
軍艦
-
大砲
-
小銃
-
技術者
を**信用取引(ツケ・分割払い)**で導入しています。
例:
-
薩摩:イギリス商人(グラバーなど)
-
長州:英・米商人
-
幕府:フランス
ここまでは「借金」です。
この点であなたの理解は正確です。
3)では、その借金をどうやって返したのか
答え:輸出で稼いだ
日本は開国後、短期間で
-
生糸
-
茶
-
海産物(昆布など)
を大量に輸出しました。
特に生糸は決定的です。
-
欧州は蚕の病気で生糸不足
-
日本の生糸は品質が良く、即売れた
-
代金は銀で支払われる
→ ここで外国商人から銀が日本に入る
4)「銀で軍備を強化」とは、具体的にはこういう流れ
-
外国商人から
「軍艦・武器をツケで買う」 -
同時に
「生糸・茶を外国に売る」 -
売上で得た銀で
借金を返す/次の武器を買う
つまり、
借金 → 輸出 → 銀を得る → 軍備を拡張
という循環です。
最初の一歩は借金。
回り始めてからは、貿易収入がエンジンになります。
5)なぜ清は同じことができなかったのか(重要)
ここが日清の決定的な差です。
清の場合
-
アヘンで銀が国外に流出
-
輸出品(茶・絹)はあるが、
税と中間搾取が多く国家に残らない -
内乱で生産が破壊される
-
外国への賠償金でさらに銀が出ていく
→ 輸出しても国家が強くならない
日本の場合
-
生糸輸出の利益が
藩・商人・軍事に直結 -
内乱は小規模(戊辰戦争は短期)
-
銀が国内で回る
→ 貿易が軍事力に変換された
6)よくある誤解をはっきりさせると
❌「日本は借金せずに銀で買った」
→ 違う
⭕「日本は借金で始め、貿易で返し、回し始めた」
→ 正確
⭕「清は貿易していたが、銀が国家強化に使えなかった」
→ 決定的な違い
7)ドラマ的表現とのズレについて
ドラマでは
「最新兵器を買った!」
が強調されますが、
現実はもっと地味で、
-
商人の信用
-
為替差益
-
分割払い
-
密貿易すれすれの取引
こうした泥臭い商業活動が背景にあります。
この点では、『商道』で描かれる世界観のほうが、
幕末日本の実態にかなり近いです。
もし次に進むなら、
-
なぜ生糸がそこまで重要だったのか
-
幕府と藩で「貿易の利益配分」がどう違ったか
-
清にも近代化を本気でやろうとした人はいたのか
このあたりを説明できます。
論点はきれいにつながっています。順に整理します。
1)明治政府の「富国強兵」の財源はどこから来たのか
結論から言うと、最初から十分なお金があったわけではないです。
財源は段階的に作られました。
① いちばん大きいのは「地租改正」
-
江戸時代:年貢は米で納める
-
明治:土地の持ち主が、現金で税を払う制度に変更
-
税率は地価の約3%(当初)
これで政府は
-
毎年、安定して現金収入を得られるようになった
-
軍隊・官僚・学校・工場に使える「自由に動かせる金」を確保
富国強兵の基礎体力は、ほぼここで作られました。
② 旧武士階級の整理(かなり強引)
-
武士に払っていた給料(禄)を廃止
-
代わりに「公債(国の借用証書)」を渡す
これで政府は
-
毎年の人件費を大幅に削減
-
浮いた金を軍事・産業に回した
社会不安は大きかったですが、財政面では効果がありました。
③ 官営工場 → 民間へ払い下げ
-
富岡製糸場のような官営工場を政府がまず作る
-
技術を確立した後、安値で民間に売却
これにより
-
政府は赤字経営から撤退
-
民間が利益を出し、税収が増える
三角屋根の工場は、その流れの象徴です。
2)生糸がなぜそんなに重要だったのか
これは偶然ではありません。
-
欧州で蚕の病気が大流行
-
フランス・イタリアの絹産業が壊滅
-
日本の生糸は品質が安定していた
結果:
-
生糸はほぼ現金(外貨)を生む装置
-
日本の輸出額の3〜4割を長く占める
つまり、
生糸=軍艦・大砲・機械を買うための外貨源
富岡製糸場は
「女性労働の改善」ではなく、
国家の外貨獲得装置として作られたのが実態です。
3)日清・日露戦争の「お金」はどうしたか
日清戦争
-
戦費は主に 国内税+公債
-
勝利後、清からの賠償金(巨額)
この賠償金で:
-
軍備拡張
-
製鉄所(八幡製鉄所)
-
金本位制の確立
→ 日本の工業化が一気に進む
日露戦争
ここから事情が変わります。
-
国内だけでは資金が足りない
-
ロンドン・ニューヨークで外債を発行
-
ユダヤ系金融ネットワーク(有名なのは高橋是清)が仲介
勝ちはしたが、
-
国家財政はかなり無理をした
-
以後、日本は「借金国家」体質になる
4)太平洋戦争で破綻した理由(ここが核心)
あなたの感覚は正しいです。
問題点
-
生糸輸出が世界恐慌で壊滅
-
石油・鉄鉱石を輸入に依存
-
戦争が長期化し、外貨が完全に枯渇
-
国債を乱発 → インフレ
結果:
-
資材不足
-
熟練工不足
-
品質より「数」を優先
→ 「飛ばない飛行機」「粗悪な兵器」
これは技術力の問題ではなく、
経済と資源の破綻です。
5)ここで一貫しているポイント
-
明治初期:
税制改革+輸出産業育成で国を強くした -
日清・日露:
戦争と借金で一時的に拡大 -
太平洋戦争:
外貨・資源が尽きて崩壊
つまり日本は、
「経済が回っている時は強いが、
それを超える戦争をすると一気に壊れる国」
でした。
これは精神論ではなく、数字の問題です。
次に進むなら、
-
なぜ軍部は「経済的に無理」だと分かっていながら突き進んだのか
-
清やロシアと比べた日本の「戦争耐久力」
-
戦後日本が「二度と軍事国家にならない設計」を選んだ理由
このあたりが自然な流れです。
私:
話があちこち飛びますが、
私は日本の近現代史をほとんど知らないんです。
中学の授業で習ったことぐらいのお粗末な知識です。
でも戦後のお金の話になると、自分の経験から、好景気に関する単語を思いだします。
・朝鮮戦争の特需
・池田勇人の「所得倍増計画」
・オリンピック景気
・いざなぎ景気
・その後一時的に「ニクソン・ショック」円高不況
・田中角栄の「日本列島改造論」
地価があがり、あちこちが開発。
土地投資のウマい話が 飛び交います
・オイルショックがあって、買いだめに走る主婦も出る
・本格的な2度目の円高
もういつだったか忘れたけど、1ドル70円台もあった。
企業業績も、為替レートに影響される時代が始まった。
・そして、私には理解不能だったバブル景気
その後、金融引き締めから一気に、「失われた10年」
・そして私には理解不能だった「リーマンショック」
株価は、半分まで落ちました。
・2011年には、東日本大震災
・しかし、ワケのわからない「アベノミクス」になり
そして、コロナショック
子供は団塊ジュニア世代の氷河期世代です。
私たち世代は、お金に関しては、総じて順調な時代でした。
子供は順調に生まれたし。
でもさて、これからどうなるのやら。。。ですね。
話は飛んでいますが、実は一本の線でつながっています。
「日本は、いつ・なぜうまく回り、どこで歪んだか」という話です。
感覚的に覚えている単語は、だいたい正しい位置にあります。
戦後日本のお金の流れを、骨組みだけで
① 朝鮮戦争特需(1950–53)
これは日本が再工業化する起爆剤です。
-
米軍が弾薬・衣料・修理・輸送を日本企業に発注
-
日本は「戦場の後方工場」になった
-
外貨(ドル)が入る
-
壊れていた工場が一気に動き出す
ここで重要なのは
「日本は戦わずに戦争経済の果実を得た」
という点です。
② 高度経済成長の設計図(1950s後半〜1970s初)
池田勇人の「所得倍増計画」は、精神論ではありません。
やったことは単純です。
-
輸出を増やす(家電・鉄鋼・自動車)
-
円を安く保つ(1ドル360円)
-
設備投資を優先(多少のインフレは無視)
結果:
-
給料は上がる
-
貯金も増える
-
「努力すれば生活が良くなる」実感があった
この時代、日本は
人口構成・国際環境・為替
すべてが味方していました。
③ オリンピック景気・いざなぎ景気
これは「成長の最終加速」です。
-
インフラ整備(新幹線・高速道路)
-
大量生産・大量消費
-
農村から都市へ人が移動
この頃まで、日本は
実体経済がちゃんと伸びていた。
ここから「おかしくなり始める」
④ ニクソン・ショック(1971)
ドルと金の交換停止。
意味はこれです:
-
「1ドル=360円」という前提が壊れた
-
円高が避けられなくなった
-
為替が企業業績を左右する時代に入った
⑤ オイルショック(1973)
これは日本経済の弱点を露呈させました。
-
エネルギーを輸入に依存
-
原油価格上昇 → 物価上昇
-
主婦の買いだめは「合理的行動」
ただし日本はここで、
-
省エネ
-
高付加価値化
に舵を切り、立て直します。
決定的な分岐点
⑥ プラザ合意(1985)→ バブルへ
円高を止めるために、
-
金利を下げる
-
お金を大量に流す
そのお金が、
-
設備投資ではなく
-
土地・株へ流れた
田中角栄の「列島改造」は、
現実の成長より、地価神話を強めた。
ここから、
-
土地は下がらない
-
株は上がり続ける
という思い込み経済に入ります。
⑦ バブル崩壊 → 失われた10年
原因は単純です。
-
実体経済以上に、資産価格が膨らんだ
-
金融引き締めで一気に崩壊
-
借金だけが残った
企業も個人も、
-
守りに入る
-
投資しない
-
賃金を上げない
これが長期停滞の正体です。
理解不能に感じた2つのショック
リーマンショック(2008)
日本発ではありません。
-
アメリカの金融バブル崩壊
-
世界同時不況
-
輸出依存の日本は直撃
株価が半分になったのは、異常ではなく連動の結果。
アベノミクス
「わけがわからない」と感じたのは自然です。
やったことは、
-
金融緩和(お金を大量に出す)
-
円安誘導
-
株価重視
ただし、
-
賃金構造
-
非正規雇用
-
少子高齢化
根本問題には手をつけなかった。
世代差が生んだ現実
あなたの世代が比較的順調だったのは事実です。
-
成長期に働けた
-
年功賃金が機能
-
子供が増えた
一方で、
団塊ジュニア〜氷河期世代は、
-
成長が止まった後に社会に出た
-
正社員の椅子が少なかった
-
賃金が上がらなかった
これは「努力不足」ではなく、構造の違いです。
「これからどうなるのか?」については、
希望論も悲観論も簡単ですが、
事実だけ言えば、
-
人口は減る
-
成長率は高くならない
-
財政余力は小さい
その代わり、
-
破綻するほど弱くもない
-
急成長もしない
「静かに縮む国」
それが、今の日本の一番現実的な姿です。
次に進むなら、
「なぜ日本は“縮む前提の社会設計”に切り替えられなかったのか」
ここが核心になります。
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