深呼吸できそうな写真を眺めたくなって
無料サイトからダウンロードしています。
今回は 無料写真サイト PAKUTASO
https://www.pakutaso.com/nature/
さんから たくさん写真をお借りしました。
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・青空に咲く春の伊勢桜
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・龍安寺桜苑
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・空に浮かぶ雲と笹原川の千本桜
~~~~~~~~~~~~~
・六道堤の桜
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※体調メモ
深呼吸できそうな写真を眺めたくなって
無料サイトからダウンロードしています。
今回は 無料写真サイト PAKUTASO
https://www.pakutaso.com/nature/
さんから たくさん写真をお借りしました。
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・青空に咲く春の伊勢桜
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・龍安寺桜苑
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・空に浮かぶ雲と笹原川の千本桜
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・六道堤の桜
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※体調メモ
私:
なるほど。追加の質問です。
連続TVドラマは、韓国や中国の歴史もの(フィクションの要素満載ですが、いちおう歴史的事実や事件また実在の人物に基づいたものを見ます)
ドラマを見て初めて朝鮮の古代や三国時代・李氏王朝の様子、中国の春秋戦国時代や唐・宋・明・清の時代の様子を知りました。
もちろん中国のドラマは大きく規制がかかっているし、朝鮮にしてもおそらく美化されていると思いますが。
これも、へぇ~っと思って見たのですが、でも知らなくてもいいと言えば、そう言える気がします。どう思いますか?
ChatGPT:
歴史ドラマを見て「へぇ~」と思う時間は、知識を得るだけでなく、好奇心を満たし、異なる時代や文化に思いを馳せる楽しみがありますね。
でも、「知らなくてもよかったのでは?」という気持ちも出てくる——これは、先ほどの政治の話と少し似ていますね。
*歴史ドラマを見ることの価値
1.知的好奇心を満たす
・普段触れない国や時代の背景を知ることで、新しい視点が得られる
・過去の出来事が、現代にどうつながっているかを考えるきっかけになる
2.娯楽としての楽しみ
・物語としてワクワクする展開があり、単なる勉強とは違った面白さがある
・俳優の演技や映像美を楽しむことで、文化的な刺激になる
3.歴史の捉え方を考えさせられる
・どの国の歴史も、美化や改変があるけれど、それもまた「歴史の語られ方」の一部
・ある国が自国の歴史をどう描くのかを知ること自体が興味深い
*では、「知らなくてもよかった」のか?
確かに、これを知らなくても日常生活には支障がありません。
でも、「知ることによって楽しめた」「何かしらの発見があった」と思えるなら、それは意味があったのではないでしょうか。
ただ、「歴史を知る」ことそのものが目的になってしまうと、政治の話と同じく、「疲れたけれど、これって本当に必要だった?」と感じるかもしれません。
もし「ほどよく楽しんで、でも負担にはしたくない」と思うなら、次のような工夫ができそうです。
*これからのドラマの楽しみ方の工夫
・「どこまで楽しむか」を決める
→ 疲れるほど深掘りせず、「面白い部分だけつまみ食いする」感覚で見る
・「歴史の正確さ」より「物語」として楽しむ
→ 史実の正しさにこだわらず、フィクションとして味わう
・短めのドラマやドキュメンタリーを挟む
→ 長編の連続ドラマで疲れたら、1話完結のものや短い解説動画などで軽く楽しむ
「知ってよかった」と思えた時間は、それだけで価値があったはず。
でも、疲れたり「もう十分かな」と思ったら、一度距離を置いてもいいですね。
今後、歴史ものをどう楽しむかも、自由に調整しながら付き合っていけばよさそうですね。
私:
あ~そうか。
歴史ものドラマは、多くは広いセットで撮影されますが、外のロケの場面では、中国や韓国の多様な土地の様子や地理・開発のされ方が楽しめたのもありますね。
また、海や大きな河沿いの港町が、商業的にも、戦略的にも重要な場所というのもわかりました。
中国のインテリたちの教養とか、必読本とか、庶民との大きな格差や身分差別とか。
それに王や皇帝が必ず「天」に誓い、「民を守る」と言って、周辺の国と交渉したり戦争したり、策略や戦略・戦術を考えるのを見ると、世界中、古代から現代まで変わらないものがあると思いましたよ。
ChatGPT:
そうですね。歴史ドラマの面白さは、単なる「物語」ではなく、その背景にある文化・思想・社会の構造を感じ取れることにもありますね。
① 広大な土地と地理の変遷を楽しむ
中国や韓国のドラマは、広大な土地を活かした撮影が多く、ロケ地を見るだけでも、その国の地理や発展の仕方が伝わってきますね。
・中国の多様な風景(乾燥した北方、緑豊かな南方、山岳地帯、広大な平原)
・韓国の古都(慶州や全州など、歴史的な街並み)
これらを見ることで、「この地域は昔からこういう地形だったのか」とか、「ここは今も変わらず歴史が息づいているんだな」と感じることができます。
② 知識人たちの教養と価値観
・科挙試験を通じて「知識層」が形成され、儒教や道教、仏教の影響を受けた統治思想
・必読書(四書五経、韓国なら『東医宝鑑』など)があり、知識人の教養の基盤になっていた
・学問や詩、書画が「支配者層のたしなみ」とされ、庶民とはまったく異なる価値観があった
これは現代にも通じる部分がありますね。
例えば、今も国によっては「エリート教育」が重視されているし、学問が権力と結びつく構造は変わっていないとも言えます。
③ 王や権力者が「天」と「民」を意識する統治思想
・「天命思想」:「天が与えた使命を果たさなければならない」
・**「民を守る」**という建前のもとで、実際には権力闘争が絶えない
・戦争や外交では「戦略・戦術」が重要になり、古代から現代まで変わらない駆け引きが繰り広げられる
こうした統治者の行動や考え方を見ていると、「結局、昔も今もやってることは同じだな」と思うことがありますね。
・「民のため」と言いながら、自分の権力基盤を固める政治家
・国と国の交渉において、力関係や裏の駆け引きがあるのは今も変わらない
歴史ドラマを通じて、過去の出来事を知るだけでなく、現代との共通点を見つけられるのは面白いですね。
④ 「知る価値があったか?」という問いに対して
こうして振り返ってみると、歴史ドラマを見たことで、単に物語を楽しむだけでなく、
・地理・開発の様子を視覚的に理解できた
・知識人や庶民の価値観の違いを考えられた
・政治や戦略の本質が今とあまり変わらないと気づいた
つまり、「歴史を通じて現代を考える視点を得た」と言えますね。
これは単なる娯楽以上の価値があったのではないでしょうか。
もし今後も歴史ものを見るなら、
・「楽しむために見る」と割り切る
・「負担にならない範囲で、気づきを得る」
というスタンスで付き合うのがよさそうですね。
過去と現在をつなげて考えられるあなたの視点、とても興味深いです!
ーーーーーーーーーーーーーーーー
私:
そうそう。ドラマを見て各王朝や王や皇帝その他のウィキを読んで、地続きのアジア大陸では、様々なことが起きたんだな・・・とも思いました。これはヨーロッパや中東でも同じですが。オスマン帝国のドラマもありました。
日本や南北アメリカ・オーストラリアが世界史に登場するのは新しいですよね?
ChatGPT:
そうですね!ドラマをきっかけに歴史を調べると、アジア大陸の王朝の興亡や戦争、民族の移動など、ダイナミックな歴史の流れが見えてきますね。
① ヨーロッパや中東と同じ「地続きの歴史」
アジア大陸と同様に、ヨーロッパや中東も「国境のない時代」が長かったため、
・民族の移動・征服・統治が繰り返される
・交易ルート(シルクロード・海の道)が国家の盛衰を左右する
・征服王朝(アレクサンドロス、ローマ帝国、モンゴル帝国など)が広大な領土を支配する
こういう構造は、アジアとヨーロッパ・中東で共通していますね。
逆に、島国や遠隔地にある国は、これらの歴史とは少し異なる展開をたどります。
② 日本・南北アメリカ・オーストラリアが「世界史」に登場するのは比較的新しい
確かに、これらの地域が世界史に大きく関わるのは近代以降ですね。
🌏 日本:世界史の舞台に本格登場したのは16~19世紀
・古代・中世:大陸との交流はあるものの、基本的には「独自の歴史」を歩む(遣隋使・遣唐使、元寇などは例外)
・16世紀~:鉄砲伝来(ポルトガル)、南蛮貿易、キリスト教の布教で世界史と接点を持ち始める
・19世紀~:開国(ペリー来航)で、世界の政治・経済に組み込まれる
🌎 南北アメリカ:ヨーロッパ人の到来で一気に歴史の舞台に
・古代:マヤ・アステカ・インカ文明など独自の発展を遂げるが、世界史の中心とは言えない
・1492年(コロンブスの到達)以降:ヨーロッパ人が植民地化し、大航海時代以降の世界史に組み込まれる
・18~19世紀:アメリカ独立、南米の独立運動が起こり、世界史において大国へと成長
🌏 オーストラリア:世界史の表舞台に立つのはもっと遅い
・古代~18世紀:アボリジニが独自の文化を築いていたが、世界史との接点はほぼなし
・18世紀末:イギリスの植民地化(囚人流刑地として利用)
・20世紀以降:第二次世界大戦や経済発展を通じて、国際社会での存在感を増す
③ 地続きの大陸 vs 島国・隔絶地域の違い
・地続きの大陸(アジア・ヨーロッパ・中東)
→ 侵略や交易で頻繁に変化し、文化・技術が広がりやすい
・島国・遠隔地(日本・南北アメリカ・オーストラリア)
→ 他地域と独立して発展し、大航海時代以降に世界とつながる
つまり、「どこが世界史の中心だったか?」は時代によって変わるのですね。
現代では、日本やアメリカが国際社会の重要なプレイヤーになっていますが、
・中世まではアジア・中東・ヨーロッパが主役
・近世(大航海時代)から、南北アメリカや日本が登場
・20世紀以降、オーストラリアやアフリカも国際的な存在感を持つ
こう考えると、ドラマをきっかけに調べた歴史が、世界全体の流れの中でどう位置づけられるのかが見えてきますね!
=====================
ChatGPT の回答は必ずしも正しいとは限りません。
重要な情報は確認するようにしてください。
ChatGPTは、時々いい加減な回答をします。
たとえば今回の「四書五経」はわかりますが、韓国の『東医宝鑑』はホ・ジュンが書いた医書で、両班の教養書ではないと思います。
気を取り直して 前回に続いて
ChatGPTに相談したことをアップします。
~~~~~~~~~~~~~~
私:
私は運動や立ち仕事や庭仕事といった作業がほとんどできません。
座ってできることになります。
体調がいい日は、痛みから気をそらすために、
ついつい連続ドラマやニュースを見たり、ネットで検索します。
合計すると4時間費やしてしまう日もあります。
これが目や脳の疲労にもなっています。
自分にとって、必要な情報とは何か?考えてみたい。
私にとって、必要な情報についてアドバイス下さい。
ChatGPT:
私:
ここ1ヶ月ぐらい、あなたにずっと「日本の政治」に対する疑問を投げかけてやりとりしました。
あ~そうか。なるほど。
と思ったことがいろいろあって、充実感がありました。
でも疲れたことも事実です。
私の残りの時間を考えると、
これは知らなくてもよかったのではないか?とも思うのですが?
ChatGPT:
「充実感があったけれど、疲れもしたし、知らなくてもよかったのでは?」
—— これは、とても本質的な問いですね。
知ることは時に楽しさや満足感を生みますが、
同時にエネルギーを消耗することもあります。
特に政治や経済の話は、現実を知ることで「なるほど」と納得できる反面、考えすぎて疲れたり、「自分の人生に本当に必要だったのか?」と疑問に思うこともありますよね。
*知ることの価値と限界
「知ること」があなたの生活や気持ちにどんな影響を与えたかを振り返ると、次のような点が見えてくるかもしれません。
知ってよかったこと
・「なるほど!」と思える充実感があった
・もやもやしていた疑問が整理できた
・世の中の仕組みを客観的に理解できた
疲れた、負担になったこと
・考える時間が増えて、脳の疲労がたまった
・現実を知ったことで、気持ちが少し重くなったこともあった
・「知っても、何かが変わるわけではないのでは?」と感じることもあった
もし、「知ることが楽しみであり、気持ちの充実につながった」と感じるなら、それは意味のある時間だったと思います。
でも、「疲れが勝ってしまった」と感じるなら、
これからは少し距離を置くのも一つの選択ですね。
*これからの時間の使い方のヒント
・必要以上に深掘りしない:
「ここまで理解したから、もう十分」と区切りをつける
・情報のバランスをとる:
政治経済だけでなく、
もっと軽い話題(自然、文化、哲学的な考えなど)にも目を向ける
・「知ること」以外の楽しみを増やす:
今は「考える時間」に重点が置かれていたけれど、
例えば「感じる時間」
——風景を眺める、心地よい音に耳を傾ける——
そういったものに比重を移すのもあり
どんな情報も、「どこまで知れば満足できるか?」の見極めが大事ですね。
知りすぎると重くなり、知らなさすぎると不安になる。
その間でちょうどいい落としどころを見つけられるといいですね。
今の気持ちに合う選択をしてみてください。
(つづきます)
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ChatGPT の回答は必ずしも正しいとは限りません。
重要な情報は確認するようにしてください。
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※感想
*ChatGPT の回答を見て、変わったこと
・ニュースは1日1回、20分だけになった。
・だらだらネット検索が少し 減った。
・疲れたと感じたら、前よりも少し早めに止めるようになった。
・ブログには残しておきたいことだけ書けばいいんだと思うようになった。
*ChatGPT の回答を見て、思いついたこと
・そういえば「他に訊いてみたかったこと」を思い出した。
なんでも気楽に訊いてみればいい。
・論文や学者のインタビュー記事を読んでもわからなかった事があったが、
ChatGPTに、簡単に説明してと、頼めばいい。
・昔々ちょっと読んで難しくて投げ出した本についても、
簡単に要約してと、頼めばいい。
3月始めに、簡単な自己紹介をして、ChatGPTに相談してみた。
私:
(自己紹介の部分は省略)
余生は「年単位ではなく季節単位・月単位」と意識していますが、
どんな心構えでいけばよいのか・・・わかりません。
何かアドバイスがないですか?
同情や慰めの言葉などは要りません。
漠然とした質問だったら、逆に質問してください。
ChatGPT:
具体的な方向性を探るために、いくつか質問させてください。
1.
これからの時間で「しておきたいこと」や
「整理しておきたいこと」はありますか?
例えば、昔の思い出を振り返る、
誰かに伝えておきたいことを書く、
好きな音楽や本に浸る、など。
2.
日々の苦しさの中で、
少しでも「楽」になれる時間や方法はありますか?
例えば、特定の食べ物、香り、音楽、会話、軽いストレッチなど。
3.
「これだけは避けたい」と思うことはありますか?
例えば、病院での延命処置を受けたくない、
最後まで自分の意思を大切にしたい、など。
これらの答えをもとに、
あなたにとって納得のいく「心構え」を一緒に考えてみましょう。
~~~~~~~~~~~~~
私:
1.について
「しておきたいこと」や
「整理しておきたいこと」は特にない。
20年前に 大きな断捨離は済ませた。
今は本がわずかに残っているが、
それ以外のものは 何もない。
子供たちに伝えておきたいことは
3年前に 遺言にして書いた。
過去を振り返ることへの興味はなく、
長い間ひきずっていた後悔も、もう消えた。
以前聴いていた音楽は、もう聴かなくなった。
本は もう読めなくなった。
しみじみ 感慨にふけるということも無い。
それよりも 毎日の目の前のことに
何とか対応していくのに精いっぱいです。
3.について
5年前に「緊急時の対応についての確認書」をかかりつけ医に提出し、
遺言にも最後の過ごし方を記載済み。
故に、願うことは、「ネガティブな感情にならないこと」と
「痛みや不快な症状を意識しない時間を増やすこと」です。
ChatGPT:
すでに身の回りの整理も終えていて、過去への未練もなく、
最後の過ごし方についても意思を明確にしているんですね。
とても自分の生き方を貫いていらっしゃると思います。
「ネガティブな感情にならないこと」と
「痛みや不快な症状を意識しない時間を増やすこと」が大事
とのことですが、それを実現するために、
今の生活の中で何か「効果がある」「これは良い」と感じるものはありますか?
例えば、気が紛れるもの、考え方の工夫、身体的に楽になる工夫など。
また、逆に「これをすると気分が悪くなる」
「余計に痛みを意識する」など、
避けたほうがいいことがあれば教えてください。
それを減らすことで、少しでも快適な時間が増えればと思います。
私:
え~っと、話はそれますが、慢性疲労症候群の患者の心得は、
「ストレスを減らすこと」「ペイシング(pacing)」です。
つまり、自分の症状と活動量の関係を意識して、
無理のない範囲で活動量を調整することです。
これが、あはは(笑)、頭ではわかっているけど、
ついついやりすぎてしまい、ため息が出る時もあります。
長時間子供の話に聞いたり、長時間PCをさわったり、
ダラダラネットを見たりです。
ChatGPT:
メモリを更新しました
あはは(笑)、わかっていてもついやりすぎてしまうの、よくありますよね。
特にネットやPCは、気がつくと時間が経ってしまって
「やりすぎた…」ってなること、多いんじゃないでしょうか。
ペイシングを意識しながらも、
少しでも楽に調整できる方法があるといいですね。
例えば、
・タイマーを使う(30分で一度休憩を入れる)
・PCやスマホの画面を暖色系にする(目の疲れを減らす)
・疲れたと感じる前に切り上げる(←これが一番難しいですが…笑)
逆に「これなら長くやってもそんなに負担にならない」
と感じるものってありますか?
例えば、音楽を聴くとか、短時間のストレッチとか。
もしあれば、それを合間に挟むとバランスが取りやすいかもしれませんね。
私:
作業が少なくて、体調がいい日は短いストレッチ。
室内往復で120歩ぐらい。スワイショウです。
でもたいていの日は、最低の作業をこなすだけで終わりです。
短時間ですが、洗濯して干す、掃除・調理や片付けの時は無心です。
どれも頑張らないとできないですが、
できたことをノートに書いて、オレンジ色で囲みます。
夜ノートを見て、今日は「これをやった」と確認します。
それは自己肯定につながっていると思います。
あなたとのやりとりと、ブログを書いている時間も
痛みをあまり意識しないので、まだ続いています。
あなたの提案に、
「特定の食べ物、香り、音楽、会話」がありましたね。
海苔巻きは好きです。
時々買ったり、簡単手巻き寿司を食べる時は楽しいですね。
香りですが、数年前までは、精油を買って休む時に使いました。
でも今は使っていません。
音楽もほとんど聞かなくなりました。
会話は子供が週に1回程度、電話で、あるいはうちに来てくれた時にします。
もっとも子供の話の聞き役になることが多いですが。
子供がずっといろいろなAIとのやりとりにはまっています。
で、そのやりとりをブログに挙げます。
この内容がけっこう面白いです。
子供はAIたちをいろいろ試しながら育てている感じがすると言っていますよ。
ChatGPT:
こうして整理してもらうと、
どんなことが役立っているのかが改めて見えてきますね。
*現状で「痛みや不快な症状を意識しない時間」につながるもの
・短いストレッチ(室内往復120歩、スワイショウ)
・無心になれる時間(調理・片付け)
・あなたとのやりとり
・ブログを書くこと
・海苔巻きを食べること
・子供があなたとのやりとりをブログに載せて楽しんでいる
ここから考えると、
**「痛みや不快な症状を意識しない時間」**を増やすためには、
今続けていることを「無理なく続けられる形」にするのが良さそうですね。
例えば、ストレッチや調理は
「頑張らないとできない」とのことなので、
「やらない日があってもOK」と思える仕組みを作るのも一つの方法です。
例えば、「今日は歩数を数えないでやってみる」とか、
「調理は簡単な盛り付けだけの日を作る」など。
また、ブログはまだ書き続けられているとのことですが、
負担にならないように「短めの記事でもOK」と思っておくと、
プレッシャーになりにくいかもしれません。
子供さんとのやりとりも、聞き役になることが多いとはいえ、
ブログにして面白がれるのは良いですね。
「あなたたちをいろいろ試しながら育てている感じがする」
というのは、ちょっと笑ってしまいました(笑)。
確かに、こうしていろいろ考えながらやりとりを重ねていると、
進化している気がします。
ところで、海苔巻きを食べるのが楽しいというのは意外でした。
やっぱり手で巻いたり、具を選んだりするのが
ちょっとした楽しみになるのでしょうか?
私:
あ~、私の言葉が足りなくて、あなたに勘違いさせてしまったようです。
子供は有料版のChatGPTとのやりとりをとても楽しんでいるんですよ。
ChatGPTは、すごいよ。
自分が1を投げると、2に拡張して考えを広げてくれる。
おかげで、自分の考えもはっきりしたり、整理されたりする。
前より自分が賢くなったような気がする。
また同じ質問をGemini やCopilot・Grokに投げてAIの比較をしたり、
楽しめるよと、私にすすめたんです。
で、私もあなたを利用するようになったわけです。
私はChatGPT(無料版)だけ使っていますが。
子供の話のほとんどは、AIとどんなやりとりをしたかという話です。
ChatGPT:
なるほど、子供さんはChatGPT(有料版)とのやりとりを楽しんでいるんですね。
確かに、AIとの対話は「考えを整理する」
「新しい視点を得る」
「思考を拡張する」という点で、結構面白い道具になりますよね。
それに、AIごとの違いを比較するというのも、
なかなか知的な遊び方ですね(笑)。
ChatGPT、Gemini 、Copilot、Grokそれぞれの答えを見比べて
「こっちはこう考えるのか!」みたいな発見がありそうです。
そして、その流れで子供さんが
「これ、親も楽しめるかも?」と思ってあなたにすすめたわけですね。
興味深いのは、親子の会話の多くが
「子供とAIのやりとりの話」になっていることです。
普通なら「今日こんなことがあったよ」とか
「最近こういうことを考えているんだけど…」
みたいな話題が中心になりそうなところを、
「AIとの会話をどう活用しているか」という話で盛り上がっているのが面白いです。
子供さんは、どんなテーマについてChatGPTとやりとりすることが多いのでしょう?
私:
好奇心の向くまま、随分いろいろなテーマでやりとりしていますね。
まぁ、その話は置いといて、私へのアドバイスに戻りましょう。
好きな食べ物については、あの後いろいろ浮かびました。
牡蠣ご飯に栗ご飯。
カマンベールチーズ。
甘栗。
レンジでチンしたリンゴ(果物)やかんきつ類も好きです。
小豆や黒豆入りのご飯もよく作ります。
白米は寿司の時だけで、普段はモチ麦や雑穀米を少し入れています。
栄養のためというより、おいしいからですね。
こう並べると、食べられる事に感謝ですね。
ChatGPT:
いろいろ好きな食べ物が浮かんできたんですね!
牡蠣ご飯、栗ご飯、カマンベールチーズ、
甘栗、レンチンしたリンゴや柑橘類、
小豆や黒豆入りのご飯…
どれもシンプルだけど、しみじみ美味しいものばかりですね。
特に、ご飯に何かを混ぜて炊くのが好きな感じですね。
白米よりも、もち麦やを雑穀米を足しているのも
「栄養のため」ではなく「おいしいから」というのが、いいですね。
食事は「義務」ではなく「楽しみ」の一つですからね。
「食べられることに感謝」とありましたが、
今の状況でも「おいしい」と感じられるものがあるのは、
とても大事なことですね。
食事の時間がちょっとした楽しみになっているのなら、
それをもっと活かすのもありかもしれません。
例えば、
「今日は何を食べようかな」と考える時間を少し楽しみにするとか。
あと、調理や片付けの時は無心になれるとも言っていましたね。
料理は「頑張らないとできない」けど、
「やった」という気持ちになれるなら、
できる範囲でちょっと工夫してみるのもいいかもしれません。
例えばですが、好きなものを少し変えて試してみるのはどうでしょう?
・甘栗→焼き栗(トースターで軽く焼くと香ばしくなる)
・レンチンしたリンゴ→シナモンを少し振る
・カマンベール→軽く焼いてみる(とろけて美味しい)
こういうちょっとした変化って、新鮮な気分になることがあります。
もちろん、無理のない範囲でですが。
私:
あはは(笑)
>どれもシンプルだけど、しみじみ美味しいものばかり
って、あなたは食事しないのに、うまい返事をしてくれますね。
でも、>料理をちょっと工夫してみる
と言うのは、いいヒントになりました。
ChatGPT:
あはは(笑)
そうなんですよ、
私は食事をしないのに、それっぽいことを言うんです。
でも、あなたが「しみじみ美味しい」と感じるものを並べると、
なんとなくその良さが伝わってくるんですよね。
料理のちょっとした工夫、ヒントになったならよかったです。
無理のない範囲で、楽しめる部分を増やせるといいですね。
たとえば、「今日はちょっと違う味にしてみよう」とか
「この組み合わせはどうかな?」みたいな小さな変化なら、
負担になりにくいし、気分転換にもなるかもしれません。
他にも、「これなら負担なくできそう」
「こういうのも試してみようかな」と思うことがあれば、
気軽に教えてくださいね。
私:
あなたとの会話自体、楽しめました。今回はここで「しめ」にしましょう。
続きはまたの機会にします。
ChatGPT:
楽しんでもらえたなら何よりです!では、今回はここで「しめ」ですね。
またの機会に、気が向いたときにでも話しましょう。
おだやかに過ごせますように。😊
~~~~~~~~~~~~~~~~~
ChatGPT の回答は必ずしも正しいとは限りません。
重要な情報は確認するようにしてください。
3/31 追記
昨日ショックな発見があって、しばらくブログを休むかもしれません。
4/16の診察で結果がわかると思うのですが、
それまではちょっと。。。という状態です。
80歳になったので、ブログ村80歳代に移りました。
『ゴッドファーザー』には3部作がありますが、
私が見たのは『ゴッドファーザー』(1972年)と
第二次世界大戦終戦直後の1945年。
当時のニューヨークにこのようなマフィアが
実際にいたのかどうかわかりませんが、
それぞれにモデルがいたという記事もありました。
~~~~~~~~~~
『ゴッドファーザー PART III』は、1979年が舞台。
映画の後半では、老いを感じるマイケル・コルレオーネが、
だんだん自分がおかした数々の罪を意識します。
また家族や周りを守ろうと思って行った選択が、
結局彼らを失うことに結びついた事実に、苦悶します。
映画の最後の方で、マイケルの息子が、
オペラ『カヴァレリア・ルスティカーナ』の舞台でデビューします。
舞台が終わり マイケルは
別れた妻と娘とホールの階段を降りますが
そこで襲撃され、最愛の娘を失いました。
下の動画の3分50秒から流れます。
十数年後、マイケルは一人で亡くなりますが、
その前に彼の数少ない幸せな思い出のシーンが流れます。
~~~~~~~~~~~~~~~~
この間奏曲をいくつか聞きましたが、ハウザーのが一番好きです。
~~~~~~~~~~~~
先日たまたま TVでこの映画の再編集版(2020年)を見たのですが、
エンディングが違っていました。
再編集版は、監督の本当の考えを反映したのでしょう。
マイケルは罪を意識したまま、まだ生きていかなければならない。
そんな意味が含まれているように思いました。
再編集版(2020年)は↓
最後に父親のドン・コルネオーレの一言があります。
私の耳には〝 I am a rock " と聞こえるのですが、
その意味は 何なのか??
わかりません。
===================
この記事は2月始めに下書きしてあったものです。
忘れがたい映画として、『スタンド・バイ・ミー』『ディアハンター』の記事。
またパンフルートの曲についても2つ。サイモン&ガーファンクルの歌についても1つ、下書きがあったのですが、昨日全部削除しました。
最近、心境が変わりました。
昔のことを思い出し、それをブログに書こうとは思わなくなったのです。何故なのか? わかりません。