私:
思い出したのでついでの質問です。
漢陽は、海岸にも近いですよね。
ドラマによく出てくる船の渡し場「麻浦(マッポ?)」までの距離は、王宮からどれぐらい?
また、王族などの流刑地「江華島(カンファ島)」はどれ位ですか?
江華島はまた、外国から攻められる最初の場所だったですね。
開城(ケソン)も時々出てきました。
ドラマでは、光海君の父親宣祖は豊臣秀吉が攻めて来たとき、
漢陽を捨て、民衆にののしられながら開城へ逃げ、最終的に
平壌から義州まで逃げていました。
漢陽と義州の間の距離はどれぐらいですか?
イムサンオクたちが、荷物を背負って歩いていました。
一般人の流刑地としては、済州(チェジュ)島がよく出てきます。
キム・マンドク〜美しき伝説の商人 - Wikipediaなど。
あそこは漢陽からどれぐらいですか?
流刑地まではみんな歩いていたので、距離が気になりました。
ChatGDP:
では、距離感を現代の地図感覚に置き換えつつ、順に整理します。
数字はすべて「だいたい」で、徒歩移動を前提にしています。
① 漢陽(王宮)→ 麻浦(マッポ)の渡し場
-
距離:約6〜8km
-
徒歩:2時間弱
景福宮・昌徳宮あたりから漢江北岸の麻浦までは、
今のソウルでも「都心から川まで歩く」感覚です。
当時の漢江は
-
橋がほぼない
-
船が物流の大動脈
なので、麻浦は
港+市場+倉庫街の役割を持つ重要拠点でした。
ドラマに頻出するのは自然です。
② 漢陽 → 江華島(カンファ島)
-
直線距離:約40km
-
実際の移動:約50〜60km
-
徒歩:3〜4日
江華島は
-
漢江の河口を押さえる
-
海から漢陽に入る「喉元」
なので
-
王族・高位者の流刑地
-
外敵(モンゴル・フランス・アメリカなど)の最初の上陸地点
になりました。
「近すぎず、遠すぎない」
=政治的にちょうどよい隔離距離です。
③ 漢陽 → 開城(ケソン)
-
距離:約70km
-
徒歩:4〜5日
開城は
-
高麗の旧都
-
漢陽の「北西の玄関」
宣祖がまず逃げ込んだのは、
政治的にも象徴的にも自然です。
④ 漢陽 → 義州(ウィジュ)
-
距離:約500km
-
徒歩:20〜30日以上
これはもう
東京 → 広島くらいの感覚です。
宣祖が
漢陽 → 開城 → 平壌 → 義州
と逃げたのは、
-
日本軍が南から北上
-
明(中国)に助けを求めるため
-
国境(鴨緑江)直前まで下がる必要があった
からです。
民衆に罵られた、という記録は誇張ではありません。
王が首都を捨てて逃げる=国家崩壊寸前でした。
⑤ 漢陽 → 済州島(チェジュ)
-
陸路+海路で:約450〜500km
-
徒歩+船:1か月以上
まず
-
漢陽 → 南岸の港(全羅道など)
→ 300km前後(徒歩2〜3週間) -
そこから船で済州島へ
済州は
-
文化も言葉も違う
-
冬は荒海で孤立
-
逃亡ほぼ不可能
つまり
一般人にとって最重刑クラスの流刑地です。
『チャングム』『キム・マンドク』で
「一度行ったら人生が変わる場所」
として描かれるのは、現実に近い。
⑥ 「みんな歩いていた」のは本当か?
結論:本当です。
-
馬:軍・官用のみ
-
牛車:物資優先
-
一般人・罪人:徒歩
しかも
-
荷物は自分持ち
-
宿はほぼなし
-
食事は現地調達
なので
距離=そのまま刑罰の重さでした。
全体イメージ(朝鮮の空間感覚)
-
漢陽周辺(麻浦・江華):
→ 政治と軍事の核心圏 -
開城・平壌:
→ 準首都クラス -
義州:
→ 国家の限界線 -
済州:
→ 社会からの放逐
ドラマで人が「歩いて移動する」描写は、
誇張ではなく、むしろ控えめです。
もし次に興味があれば、
「なぜ日本の大名行列と、朝鮮の徒歩流刑はこんなに違うのか」
も説明できます。
私:
今の時代なら考えられない、うへぇ~という距離を歩いたんですね!
朝鮮の冬は寒いですが、少なくともドラマでは、
薄い綿入りの木綿か麻の上着に、
ズボンと脚絆(?)に藁草履という恰好でした。
確かに江戸時代の飛脚も駆けていたし、
旅人もみんな歩いて移動していたのでしょうが、
みんなが頑健ということもないだろうから、
朝鮮でも、日本でも、行き倒れがあったんじゃないかな?
「大名行列」は、別物でしょう?
宿場ごとに、宿に泊まり、十分な食事も得たのでは?
ChatGDP:
順に、事実ベースで整理します。
① 行き倒れはあったのか?
あった、しかも珍しくない。
朝鮮でも日本でも共通
-
長距離移動=徒歩
-
医療なし
-
栄養状態は慢性的に悪い
-
冬は低温、夏は脱水
この条件なので、
-
病気
-
飢え
-
凍死
-
過労
で倒れる人は普通にいました。
史料には
-
「路傍で死す」
-
「行旅病人(こうりょびょうにん)」
という表現が頻出します。
② 「みんな頑健だった」は誤解
これは後世の思い込みです。
実態
-
平均身長は低い
-
慢性的栄養不足
-
寄生虫も多い
-
歯も早く悪くなる
つまり
今より体は弱い人が多い。
歩けたのは
-
生きるために歩くしかなかった
-
途中で倒れる人は「脱落」した
というだけです。
生存者だけが目立つので、
「昔の人は強かった」ように見える。
③ 朝鮮の旅装はなぜあんなに薄い?
あなたの観察は正確です。
理由は3つ
-
綿が貴重
-
厚着=金持ちか官人
-
-
重ね着前提
-
下着+上着を何枚も
-
-
動きやすさ優先
-
重装備だと歩けない
-
防寒性能は低く、
風と雪の日は普通に命取りでした。
④ 行き倒れはどう処理された?
冷たいですが、現実はこうです。
-
道端で死亡
-
地元民が簡易埋葬(義務)
-
身元不明のまま終わる
朝鮮でも日本でも、
-
「旅人の死」は社会的に軽い扱い
-
国家が補償することはない
⑤ 大名行列は「別物」で合っている
これははっきり違います。
大名行列の特徴
-
国家公認の移動
-
事前に宿場へ通達
-
本陣・脇本陣に宿泊
-
食事・風呂・人足すべて確保
-
医者・薬持ち同行
要するに
移動する巨大な役所です。
⑥ 一般庶民・飛脚との決定的違い
-
飛脚:
-
超過酷
-
若くて訓練された男性のみ
-
早死に多い
-
庶民旅:
-
宿に泊まれない日も多い
-
食事は握り飯程度
-
流刑者:
-
もっと下
-
食糧支給なし
-
監視付き徒歩
-
大名行列と比べるのは、
現代で言えば「自衛隊の輸送」と
「ホームレスの徒歩移動」を比べるくらい違います。
⑦ だからドラマの描写は?
結論だけ言います。
-
徒歩距離:現実通り
-
服装:やや綺麗すぎ
-
行き倒れ描写:少なすぎ
実際は、
-
途中で消える人
-
途中で死ぬ人
-
二度と帰れない人
が、もっと多かった。
「うへぇ~」という感覚は、
現実を正しく捉えています。
私:
イ・サン - Wikipedia や 師任堂、色の日記 - Wikipedia では、
朝鮮の美しい山として、金剛山 (朝鮮) - Wikipediaも出てきます。
師任堂、色の日記 では、サイムダンが一人で金剛山に登って
山々の景色を描くシーンがあります。
そこで彼女の初恋の相手イ・ギョム(架空の人物)と再会して、
二人で金剛山の月を眺めるシーンは とても美しかった。
こんな夕方~夜に変わる空は、どんなにきれいだろうと思いました。
申師任堂 - Wikipedia を読むと、実際に金剛山の絵を描いたのかどうかわかりませんが。
ドラマでは、彼女が絵の道具を持って山道を登っていったのですが、漢陽から金剛山の頂上(と言ってもいくつもの山があるのでそのどれかはわかりませんが)まで、歩いてどれぐらいかかりますか?
距離感と当時の移動条件を、数字で整理します。
① 漢陽 → 金剛山までの距離
-
漢陽(今のソウル)から金剛山一帯まで
直線で約150km -
実際の徒歩ルート(山・谷・宿場経由)
170~200km前後
現代の地図で「ソウル → 金剛山」を見ると近く感じますが、
当時は最短ルートなどありません。
② 徒歩で何日かかる?
一般的な旅人の歩行距離
-
1日:20~30km
(荷物あり、未舗装路、休憩込み)
つまり
-
早くて6~7日
-
普通なら 8~10日
-
女性一人+画材持参なら
10日前後が現実的
しかもこれは
「金剛山の麓に着くまで」。
③ 金剛山の「頂上」に登るのは別問題
金剛山は1つの山ではありません。
-
内金剛・外金剛・海金剛
-
数百の峰
-
道は険しい
-
宿坊や寺を転々とする
麓 → 景勝地巡り → 高所
で、さらに数日かかります。
④ 女性が一人で登れたのか?
ここは現実とドラマを分ける必要があります。
現実
-
完全な単独行は かなり異例
-
僧侶・案内人・一行に同行が普通
-
特に女性は危険が大きい
史実として
-
両班女性が金剛山詣・遊覧をした記録はある
-
ただし
**「一人で黙々と山奥へ」**はほぼ創作的演出
⑤ では、申師任堂が金剛山を描いた可能性は?
学術的には:
-
金剛山を実見した可能性は否定できない
-
ただし
-
現地スケッチか
-
人づての話+想像か
-
他人の画稿を元にしたか
→ 断定できない
-
当時の文人画は
「現地写生」より
理想化された名勝表現が主流でした。
⑥ 夕方から夜の金剛山の空は実際どうだったか
これは想像ではなく、物理的に言えます。
-
人工光なし
-
大気汚染なし
-
月明かりが地形に反射
-
雲海が出やすい
現代人が想像するより
はるかに暗く、はるかに鮮烈。
星も月も、
「きれい」ではなく
圧がある光景だったはずです。
⑦ 結論として
-
漢陽 → 金剛山:徒歩10日前後
-
山中遊覧込み:2週間規模
-
ドラマの情景:
距離と労力は現実通り、行動の自由度は美化
あの再会と月の場面は、
物理的には「過酷な旅の果て」にある光景です。
だからこそ、美しく見える。
私:
あっ 思い出しましたよ。
サイムダンは少女の時に、安堅(アンギョン)作の「金剛山図」を見て感動して、王様中宗の詩を書き写したんです。そこから悲劇が始まるという筋書きでした。
>夕方から夜の金剛山の空ははるかに暗い。
なるほど~。
確かに人一人いない山々の頂上は暗く、月明かりではわずかな光しかなく、あとは黒々とした山々に取り囲まれる。確かに圧倒される光景ですね。
なぜかここで、ChatGDPは2つの回答を表示して、
どちらがいいか選んでくれーという形になりました。
どちらの回答も似ていますが、私は短いほうの回答1を選びました。
ChatGDPの回答1
整理して考えると、あなたの感覚はかなり妥当です。
飛躍はありません。
まず、**ドラマは基本的に「騙す装置」**です。
ただし詐欺ではなく、感情を動かすための意図的な歪曲。
李朝ドラマでよく起きている美化を分解すると、
-
都市:
実際は不衛生・雑然・臭気も強い
→ 画面では「風情」「活気」に変換される -
人物:
権力者はもっと計算高く、庶民はもっと疲弊
→ 高潔さ・純粋さ・義理人情が強調される -
自然:
危険・暗闇・寒さ・孤立が本質
→ 崇高・神秘・癒しとして描かれる
これは視聴者を「誤解させる」けれど、
同時に理解しやすくもしている。
次に、「それでも大変さは伝わる」という点。
ここが重要で、
ドラマは事実の再現ではなく、
負荷の大きさの方向を伝える媒体です。
-
移動が過酷
-
身分で人生が決まる
-
国家は弱く、個人が脆い
-
自然は守ってくれない
細部は嘘でも、
構造そのものは嘘ではない。
最後に、「自然を失った」という感覚について。
これは感傷ではなく、事実です。
現代は、
-
夜が暗くならない
-
寒さや暑さはスイッチで消せる
-
移動は身体能力と切り離された
-
病気や怪我は“運命”ではなく“管理対象”
その代わりに失ったのは、
-
自然への畏怖
-
身体感覚に根ざした判断
-
生死が連続しているという実感
李朝の人々は自然の中に「生きていた」。
現代人は自然を「背景」にして生きている。
どちらが良い悪いではなく、
世界との距離の取り方が根本的に違う。
あなたが「騙されている気がする」と感じつつ、
同時に「何かが伝わっている」と思うのは、
その境目をちゃんと見ているからです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ChatGPT の回答は必ずしも正しいとは限りません。
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