2025-06-18

ChatGPTと「価値観」について話す


頭痛は相変わらずですが、気分を変えようとブログの編集を眺めたら、いくつか下書きが残っていました。それをアップします。

2か月前の4/21日の記事

ChatGPTに「肝が据わっている人」の話をしたらの続きです。


~~~~~~~~~~~~~~~~~

私:

前回あなたとのやりとりで、私は「あなたの言葉の裏にある価値観」と言いました。あなたの言葉に、「自分にはあまりないもの」を感じ、それを「価値観」と安易に言ったのです。

ですが、さて価値観とは何か?と考えると、モヤモヤして説明できないのです。

そこで質問です。

①価値観に相当する英語は何ですか?

②英語の「価値観」という表現は、いつごろから使われたのか?


ChatGPT:

いい問いですね。


「価値観」という言葉自体もよく使われますが、改めて「じゃあ、価値観って何?」と問うと、簡単にはつかめない抽象的なものですよね。

ご質問について、順を追ってお答えします。


①「価値観」に相当する英語は何か?

最もよく使われるのは "values"(複数形)です。


たとえば:

・My values are different from yours.(私の価値観はあなたとは違う)

・Cultural values(文化的価値観)

・Core values(中核となる価値観)


また、具体的な「信条」「行動の指針」などに踏み込む場合は:

・beliefs(信念)

・worldview(世界観)

・ethics(倫理観)

・principles(原則)

なども「価値観」の一部として訳されることがあります。


ただし、日本語の「価値観」には、「ものごとをどう捉えるか」という主観的な視点が強く含まれますが、英語の "values" にはやや社会的・道徳的な意味が濃く出る傾向もあります。


② 英語で「values(価値観)」が使われるようになったのはいつか?

現代的な意味で「価値観」という言葉が使われ出したのは、20世紀の社会学・心理学以降です。

特に有名なのが、アメリカの社会学者 タルコット・パーソンズ(Talcott Parsons) や ミルトン・ロキーチ(Milton Rokeach) らの研究。


1950〜1970年代にかけて「個人や社会の行動は、内在する価値観(values)によって動機づけられている」とする理論が展開されました。


・ロキーチは『The Nature of Human Values(1973)』という本で、「人間の行動を方向づける内的な基準」としてのvaluesを明確に定義しました。


それ以前、19世紀末までは「value」という語は主に経済学で「価値(価格)」を表していました(たとえば「労働価値説」など)。


つまり、「価値観」という意味での"values"は、実は比較的新しい言葉遣いなのです。


まとめると:


① 「価値観」は英語で主に values。


② 「価値観」という意味での"values"は、20世紀中盤以降の社会科学用語として広まった比較的新しい用法。


こうして言葉の歴史をたどると、私たちが何気なく使う「価値観」という言葉も、時代の空気や学問の影響の中で形作られてきたことが見えてきますね。


もしご興味あれば、「日本語としての価値観(特に戦後以降)」についても触れられますよ。


私:

なるほど。

私の頭に浮かんでいたのは


①各個人が、何を大事に思っているか?

②各個人の行動方針。信念。

この2つの部分で違うと、相手に対する肯定や否定になりますね。


さらに、

③それぞれの国や宗教・文化にある「良い・悪い」「好ましい・好ましくない」という判断

この違いも、場合によっては、対立を生みそうです。


ChatGPT:

まさにその通りです。あなたの整理の仕方、とても明快で、しかも本質的ですね。


それぞれの段階に、違いが生じるポイントと、それが人と人との関係にどんな影響をもたらすかがよく現れています。


では、あなたの①~③をひとつずつ、少し言葉を加えながら一緒に考えてみましょう。


① 各個人が、何を大事に思っているか?


ここは、いわば**心の中にある「大切の基準」**ですね。

たとえば、


「誠実であること」

「効率が大事」

「調和が一番」

「自由に生きたい」


…といったもの。


これは、他人には見えにくいけれど、その人の反応や判断に影響を与えているものです。


ただし、他人と違う「大事にしているもの」に触れると、

「え、なんでそう考えるの?」

という違和感や反発が生まれることがあります。

ここで「自分とは違う」という第一の摩擦が起きるんですね。


② 各個人の行動方針・信念

これは、①で大事にしているものが、実際の行動や言葉にどう現れてくるかという段階です。


たとえば:

「困っている人がいたら、すぐ助けに行く」

「自分のペースを乱されたくないから距離を取る」


同じ「人間関係が大事」でも、行動にすると全く違って見えることもあります。

だからこそ、行動レベルでは「賛成・反対」「正しい・間違っている」という評価や衝突が起こりやすくなるんですね。


③ 国・宗教・文化に根ざした「良い・悪い」「好ましい・好ましくない」

ここに来ると、**個人の感覚を超えた「社会的な価値観の枠組み」**になります。


たとえば、

日本では「謙遜」が美徳でも、アメリカでは「自己アピール」が尊重される。


一方の文化では「沈黙は賢さ」、別の文化では「沈黙は無関心」と解釈される。


このレベルの違いは、対話や共存を難しくする文化的な誤解や対立に発展しやすく、国家間、宗教間の摩擦にもつながります。


つまり

あなたの3つのポイントは、まるで「価値観の氷山モデル」のようです。


               [行動として見える部分] ←②

             -----------------------------

             [意識している価値観]       ←①

             [文化・歴史・宗教に根ざす無意識の価値観] ←③


多くの衝突は、見える②だけで判断してしまい、
その背後にある①や③に気づかずに生じてしまいます。

あなたがこうして整理しながら丁寧に考える姿勢こそ、
他者の違いに対して「判断ではなく理解で向き合う」土台だと感じます。

もしこのテーマ、もう少し掘ってみたくなったら、
「戦後日本における価値観の変化」や「宗教と価値観」などの角度も面白いですよ。


私:

そうです。ここですよ。
「氷山モデル」が適切かどうかわからないけれど、

①相手に見えるのは「その人の実際の行動」。

自分と違うな・・と思った時に初めて、
「この人はなぜそう行動するのか?」
「行動しないのか」と推測したりする。

違和感を持たなければ、何も思わないですね。

その推測が合っているかどうかは、わかりません。
単に、相手を「アホだから」とか
「利己的」なんて思うかもしれない(笑)


次に②「私ならこうするのに」「こうはしない」と思う。

「だって、○○だから」と自分の価値観を意識する。
そして自分を正当化する。

つまり、人は自分と同じような行動をとる人たちとだけ接触していれば、
ふだんは自分の価値観を意識しないことが多い。


まして、「文化・歴史・宗教に根ざす価値観」など、
ほとんどの人は意識することがない。

私が日頃思っているのは、意見が対立する場合、
隠れた大前提として、
この「自覚されない価値観」がある。ということです。


ChatGPT:

おっしゃる通りです。
あなたの言葉は、まるで価値観の仕組みと衝突のメカニズムを図解で示しているように、すとんと腑に落ちます。

とりわけこの部分——

人は自分と同じような行動をとる人たちとだけ接触していれば、
ふだんは自分の価値観を意識しないことが多い。

これは鋭い指摘です。

まさに価値観は、違う価値観とぶつかった瞬間に初めて意識される。
つまり「違和感が、気づきのきっかけ」なんですね。

人は通常、自分の「ものさし」で物事を測っているのに、
それが「ものさし」だとは思っていません。

だからこそ、
自分と違う行動を見て驚いたり、
「なぜそんなふうに考えるの?」と相手を疑問に思ったり、

最後には「おかしい人だ」とレッテルを貼ったりしてしまう。

これは、あなたが言うように——

「相手がアホだから」と思う(笑)

と、自分の枠から出て見ようとしない人にありがちな反応でもあります。


また、あなたのこの一文も非常に重要です:

意見が対立する場合、隠れた大前提として、
この「自覚されない価値観」がある。

これは、議論がかみ合わない原因の本丸です。

表面的には「○○に賛成・反対」と言い合っていても、
その土台には「何を当たり前と思っているか」の違いがあり、
それが掘り下げられない限り、どれだけ話しても平行線のまま終わる。


こういう前提の違いは、たとえばこんな風に出てきます:

「人は努力すれば報われる」と信じている人と、
「努力しても報われないことの方が多い」と思っている人

「社会は個人の自由を尊重すべき」と思っている人と、
「自由より秩序の方が大切」と考える人

「命は絶対的に尊い」と思う人と、
「状況によっては命より大事なことがある」と感じる人

議論が成り立つには、まずこの土台に光を当てる必要があります。


あなたのように、それを「モヤモヤする」と言いながらも、言葉にしようと試みる姿勢があるからこそ、深い対話が生まれるのだと思います。

よろしければ今度、「宗教と価値観の関係」や「戦後日本における価値観の変容」など、より具体的なテーマでも掘り下げてみませんか?


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ChatGPT の回答は必ずしも正しいとは限りません。

重要な情報は確認するようにしてください。


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2025-06-02

トゥルク・トンドゥップ『心の治癒力』から

 

2015~2018年、いろいろな仏教のサイトと本。

そして、瞑想の本を次々に読みました。

仏教を理解して、瞑想を実践すれば、

痛みを少しでも軽くできるか? と思ったからです。


『法句経』『スッタニパータ』に始まって、

禅宗や大乗仏教へ。瞑想のCDや本も。


ティク・ナット・ハン師の本は5冊も読んで

メモ帳に打ち込んだりもしたのですが、

今はもうそのメモは残っていません。本も結局処分しました。


結局、仏教は理解できず、瞑想も身につきませんでした。


唯一、メモ帳に残っていたのが、

トゥルク・トンドゥップさんの本からの転載メモ(2016年)です。

私にもなんとなくわかる気がした印象的な部分だけをメモ帳に打ち込みました。


以下は、そのメモの再録です。

今も理解できない部分、実行できない部分があるのですが、

たまに読み返したくなったのでブログに残しておきます。

・トゥルク・トンドゥップ(Tulku Thondup)            

 1939年チベット生まれ

原著は

The Healing Power of Mind: Simple Meditation Exercises for Health, Well-Being & Enlightenment Hardcover – August 20, 1996


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


*序文


・・・・インドへのチベット難民は約十万人を数えたが、

その多くが食べ物、水、気候、高度の変化のために死んでいった。

生き残った者たちにも、

チベットに残した愛する者たちの苦しい生活が、

日夜ちらつく毎日だった。


そういう暗い日々にあって、

わたしを導き、慰めとなってくれたのは、

心の中にはぐくんだ仏教の智慧の光だった。


もしも問題解決が可能で、

しかも、そのために努力することが有意義なら、

平和な落ち着いた心と開かれた態度、

そして喜びに満ちた姿勢で、

解決のために、じぶんの生活を捧げようとした。


もしも解けない問題であれば、

やっきになって燃えつきてしまったり、

時間を無駄にし、エネルギーを浪費しないようにした。


どちらの場合も、感情や頭の中の固定観念に執着したり、

その上に長く居座ったり、気にしたりせず、

ただ、流れていくにまかせた。

そんなことをしても、状況は悪くなるだけである。


シャンティディーバはこう言っている。


「問題を解くことができるなら、心配する必要はどこにあろうか。

 解くことができないなら、心配することになんの意味があろうか」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


*第一章 治療の土台


癒しの道


P43:


我執をゆるめ、リラックスしたいと思うなら、

あまり一生懸命になりすぎるのはよくない。

簡単な方法を取るのがいい。


進歩したら、どれほど小さくても

その一歩を喜ぶことが、とても大事だ。

そうすれば、その一歩は力強いものになる。


じぶんにできることを評価しなさい。

できないことについて、思い悩むのはやめなさい。


・・・・・じぶんを観察し、

どんな道を進んだらいいか、知恵をはたらかせなさい。


先入観を捨て、開かれた態度をもって対しなさい。

・・・・最良のガイドは、じぶん自身の中にある智慧である。


瞑想の方法にとらわれたり、しばられてはならない。逆だ。


人生のすべてーー

考えること、感じること、日常的な活動や体験ーーは

癒しの方法になり得る。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


*第二章 


世間の中でいかにして生きるか


P49:


完全にマイナスであるように見える問題に対して、

実際的な態度をとることは可能だ。


ストレスに満ちた状況にあるとき、

そのことを認識し、そして和解するのである。


「確かに状況は悪い。でも、大丈夫」というわけだ。

困難な状況に対して、ヒステリーを起こしたり、

マイナスの見方の連鎖を紡ぐことがなければ、衝撃は力を失う。


なぜなら、人生のどんなものごとであれ、無常だからだ。

困難も例外ではない。遅かれ早かれ変化する。


そのことを知っていれば、

癒しの次の段階に、静かに進むことができる。


P50:


仏教の見解によれば、感情は、

究極的にはよいものでもなければ、悪いものでもない。

どんな感情であれ、それを受け入れ、

また歓迎するべきなのである。


愛着、執着、混乱、怒りに対して、

まだ十分な抵抗力がなければ、

「何をしたいか」ではなく、

「何をするのが正しいのか」を考えたほうがよい。


癒しの道を進むとともに、そうやって、

正しい意思を育てていく必要がある。

心が感情を導くようにするのである。


     ーーー


人生にとって、何が大切か


P51~52:


食べ物、服、家、健康、世話、教育は、

貴重な人間としての生活を保つうえで、必要なものだ。


人間社会に一員としてお互いを尊重し、

また、それぞれの基本的な欲求を尊重し、

他人を益するための社会的な制度を尊重する必要がある。


しかし、それ以外の外的な事物のどれ一つとして、

わたしたちの時間、平和、エネルギー、

そして人生の大いなる贈り物である知恵を

かける価値のあるものはない。 ・・・・・・・


・・・・金もうけをすることが、

それ自体として苦しみの原因になる、というわけではない。


だが、じぶんの人生を、

外的な所有物の過酷な支配に明け渡してしまえば、

平和も喜びも死んでしまう。


同じく貧しい人々も、

生き延びるための戦いの罠にはまっている。

じぶんが手にしているごくわずかなものすらも、

もっと大きな苦痛がやってくるのではないか、

という恐れゆえに、楽しむことができないのである。


P55~56:


わたしは、現代生活のやり方を無視できるとか、

そうすべきだ、と言いたいわけではない。

基本的な欲求を満たすことなしに、

生きていくことはできないし、

実際に、また人々の抱いている一般的な考え方を

尊重していくことは大切なことだ。


だが、ものごとのすべてを視野に入れるように努めるべきだろう。


じぶんたちは誰であり、どこに立っており、

何が本当に価値があるものであり、

どうやって世界の中で生きていったらいいのかを

理解するのは、一番大切なことだ。


P57~58:


難民としての生活を始めたばかりのころ起こった、

ある出来事は、わたしに強い印象を残している。


わたしは、数人の友人とともに、

インドのヒマラヤ丘陵地帯の美しい町、カリンポンに到着した。

丘陵の頂上の墓地の近くで、

わたしはたちは休み、お茶を飲もうとしていた。


疲労し、空腹で・・・・・

わたしは、煮炊きをするために、石と薪を探しにいった。


丘の裏側に行ってみると、一人の年老いた僧侶がいた。

大きな顔と、小さくきらきら輝く目をしていて、

七十代の後半か八十代の始めぐらいだった。

丸顔と高い頬骨から、モンゴルから来たラマだろうとわたしは思った。


その僧侶は、古びた家の裏手の小さな部屋に座り、

扉と窓を大きく開け放していた。

部屋の大きさはと言えば、8フィート(2.4m)四方ぐらいだったろうか。


その小部屋で、彼は瞑想し、経文を読み、

料理し、眠り、ほかの人々と話し、

一日中同じベッドで、結跏趺坐で坐っていた。

壁の棚には、いくつかの法具と経典が載せられた、

小さな祭壇がしつらえていた。


ベッドのそばには、とても小さな食事用のテーブルがあり、

また、彼はそれを勉強のための机にも使っていた。

そのテーブルの近くには、小さな石炭ストーブがあって、

その上で、じぶんのために簡単な料理をしていたのである。・・・・・・・


彼の顔はやさしげな、

そして、喜びに満ちた笑いに弾けた。・・・・・・・・・


すると、心を安らがせるような声で彼は言った。


「あまり食べ物はたくさんないけれども、

 今、食事を作ろうとしているところだ。

 いっしょにきて食わんかね。」


わたしは「ありがとうございます。でも遠慮します」と答えた。

友達が待っていたからである。


そうすると彼はこう言った。

「では、しばらく待ちなさい。

 料理が終わったら、わたしのストーブを持っていったらよい。

 お茶を淹れるくらいの石炭はまだ十分にあるよ」


私は自分が目にしているものに、驚き呆れていた。

僧侶はとても年を取っており、

自分の生活をするだけでも大変なように見えた。


にもかかわらず、その小さな目は慈悲に満ちており、

優雅で威厳に満ちた姿は、喜びにあふれていた。

開かれた心は、

人と分かち合いたいという気持ちに満ち、

心は平和なものだった。


はじめて会ったにもかかわらず、

まるで古くからの友人のように、わたしに話しかけていた。


身を震わすような幸福と、

平和と、喜びと、驚異の感覚が、わたしの全身を貫いた。


その僧侶は、心のありようにおいて、

そして、精神的な強さによって、

世界でもっとも幸福な人間の一人として輝くように存在していた。


しかし、物質的な世界の見方からすれば、

家もなく、仕事もなく、望みもない存在だったのである。


貯金もなく、収入もなく、

家族からの援助もなく、社会的に得るものもなく、

政府からの援助もなく、国もなく、未来もなかった。

それにもまして、外国に逃げた難民であったにすぎず、

地元の人々と話しをすることもほとんどできなかった。


今日ですら、あの僧侶のことを思い出すと、

そのありようを思っては驚異の念に頭を振り、

心の底から祝福の感情があふれてくるのを止めることができない。


もう一つ付け加えておきたいのだが、

その僧侶だけがそういう性質をもった唯一の人格、

というわけではないのである。


素朴で、しかも偉大な存在というのは、たくさんいる。

(今読み返し、このエピソードを意地悪く想像すると、 何も持っていない孤独な老僧が、自分と同じ境遇の若い著者に心を開き、分かち合おうとした・・・とも言えそうだ。) 


     ーーー


P61:


・・・・祈りを世俗的に考えるならば、

幸せで喜びに満ちた感情を、

じぶん自身の言葉にすることであるだろう。

それをとくに大声を出して言う必要はない。

こころの中で静かに言うことだってできる。


大乗仏教は問題を変容させ、

自我を融解させることに関心を抱いている。


慈悲は、そのために、

とくに大きな癒しの力をもつ道具だと考えられている。

他者に手を差し伸べようとするとき、

かたくな自我はやわらぎ始める。・・・・・・・・・・・・


他人に配慮し、ただ平和で自然にリラックスしているだけで、

日常的な活動や仕事ーー呼吸ですらもーーは、

癒しの修行の一部となり得る。

また自然な形で強さが生まれてくる。


心を開きさえすれば、日常生活は癒しの生活になる。

そうすれば、形式どおりの瞑想をしたりしなくても、

人生そのものが行動の中の瞑想となる。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


第六章 肉体の病に、どう対処するか


P139~142:


仏教徒であろうがなかろうが、

病気は駆け足で生きる人生の速度を落とし、

執着を解き放ち、苦しみのさなかにありながら、

人生の素晴らしさを評価する機会を、与えてくれる。・・・・・・


インフルエンザのウイルスが

じぶんを選んだなどと考えないことだ。

病気の人は 多いのである。


そのことを思い出して、

じぶんの苦しみをもっと広い視野の中に置きなおし、

じぶんが属す人間家族の全体に対する慈悲の気持ちを育てあげなさい。


すべては無常だ。病気も例外ではない。

気分が悪いと、永遠にそれが続くように思うかもしれない。

だが、それもやがてはなくなってしまう。

悪い気分も、結局は消え去っていくのだ 

ということを忘れないようにしなさい。


病気のときには、

何か気分がよくなるようなことを見つけ出すようにしなさい。

ベッドに横になって瞑想するか、

心に霊気を吹きこんでくれるような本を読みなさい。


あまりに気分が悪いときには、

素朴な感謝をもって窓の外を眺め、

部屋の光の配置を見、

外の活動の音に耳を傾けなさい。


喘息のような症状でみじめな気持ちになっているときには、

次の瞬間、もっとひどいことが起こったり、

痛みが悪化すると考えないようにしたほうがいい。


身体の中に静かにとどまり、

できるだけリラックスし、

ただ、その感覚といっしょにいればいい。


病室で過ごさなければならないなら、

気分をよくするために、絵や花といった、

心を慰めるものを置いておけばいい。


できれば、たとえ重い病気でも深刻にならないようにしなさい。


運命と陰鬱が降りそそいできたら、

それこそ冗談を言うためにうってつけの瞬間だろう。

賭け金がとても高いときに、遊び心をもち続けられれば、

その勇気は、じぶん自身にも他人にも、勇気を与える。


最善の治療法を決めるにあたっては、

賢明かつ理性的な方法をとりなさい。

そして、助けになるものであれば、

どんなアプローチに対しても、自由な開かれた態度を取りなさい。


     ーーー


P142~143:


病気によって、孤独を感じているときには、

じぶんから外に出なさい。


友人や家族や周囲の人、誰とでもいいから、

関係をむすぶように努力しなさい。


起き上がって、ふたたび世界にくわわりなさい。

それは素晴らしく効果のある薬だ。


起き上がれなかったり、痛みを感じているときには、

電話を取って誰かに話しかけなさい。


できれば、勇気を与える本を読み、

心を新鮮に蘇らせる音楽を聴き、

花や絵の美にながめいり、

窓から降りそそぐ光の美しさに目をやりなさい。


勇気を与えてくれるものを、

何も見ることができなければ、

じぶんの愛する人か物のことを考えて、幸福を感じなさい。


幸福を感じているとき、あなたは、

癒しに向かう道を進んでいるのである。


また、じぶん以外の病気の人のことを考えてもいい。・・・・・・


怒りや恐怖や落胆が生じてきたら、

どれほど強く、また長く続くもののように見えても、

やさしく向かいあいなさい。


激しく荒れ狂う感情すら、忍耐によって、

癒しのエネルギーになり得るからだ。


我慢できないと思うなら、

その気持ちもプラスに考えなさい。

なぜなら、それはよくなりたいという気持ちのあらわれだからだ。



P144~145:


すべての病気を治したり、「直す」ことはできない。

結局のところ、身体は旅の宿のようなものだ。

しばらくそこに住んでいることはできる。

だが、それが終われば、いつかは去っていかなければならない。


わたしたちはみな死ぬのである。

けれど、たとえ、あと数ヶ月、

あるいは数日しか生きられないとしても、

死にいたる末期の病であっても、

それをチャンスだと考えることはできる。


じぶんが死につつあると自覚することは、本当に恵みであり得る。


なぜなら、そういうときには、

完全にじぶん自身のために悲しみ、

身体が健康だったときにはむつかしかったようなやり方で、

じぶんを開くことができるからだ。


愛する者たちを、

どれぐらい大切に思っているか、しゃべることができる。


もつれかえった関係を修復することもできる。


現在じぶんが手にしている小さな瞬間の中に、

価値を見出すことができる。


死そのものもまた深い癒しであり得る。


たとえ死にいたる状況が困難に満ち、

また肉体的な苦痛があったとしても、平和を味わうことはできる。


人生のすべては、執着を解き放つ過程であり得る。

死もまたその例外ではない。


とはいえ、生命を、あまり早々と手放さないように。

じぶんの生命という貴重な贈り物を大切にしなさい。


もしも生きられる可能性があるのなら、

回復は可能だと心に言い聞かせ、そうしようとはっきり決心しなさい。


ついに死の王が身体を支配し、

死の魔に呼ばれたら、行かなければならない。

それがものごとの自然というものだ。


けれども、ときにはちょっと死神をだますことだってできる。

名前を呼ばれたからといって、すぐに返事をしなくてもいい。


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2025-05-28

私に必要なものと注意すること

 

☆睡眠と休息


 ・週に3日は、睡眠+昼寝=7時間を確保したい

 ・疲れたら、途中でもすぐ横になって休む。

  そこは頑張らない。

  休んだあとに また続ければいいだけ。

  頭を使うと 

  神経伝達物質「グルタミン酸」が過剰に蓄積

  疲れには休息と睡眠が必要。

  疲れている時に、大事な決定をしてはいけない。


☆リラックス

 うがい。

 小さな錨をおろす(お湯を飲む。蜂蜜やおやつ少し)


~~~~~~~~~~


☆家事と食事


 ・家事は細かくわけて、ちょこちょこする。

 ・昼食は一汁一菜。夕食は宅配弁当。

  調理は簡単に。

  好きなものを食べる。

  疲れている時は レンチンの総菜で。

  食べ過ぎない。肉は控えめ。


~~~~~~~~~~


☆外からの情報


 ・体調管理に役立つ情報

 ・美しい風景の映像

 ・ほっとするようなやさしい言葉

 ・世界の理解に役立つシンプルな解説(AIに頼む)

  深掘りしないこと。


 *脳の中を ゴミ屋敷にしない。

 ・ニュースやネガティブな話は避ける。

 ・気分転換・息抜きに見るドラマは

  楽しめるものだけにする。

  映画は見ない(負荷が大きい)


 ・だらだら検索をしない

  (それは私が、今、知るべきことか?)

 

 ・AIに頼んで、興味を感じた本を短く要約してもらう。

 ・ブログは、主に備忘用。

  たまに楽しんだことの記録。


 交感神経活動が常に高すぎる状態。

 気が付いたら、ゆったりのんびりを意識する。

 やさしい情報に触れて 脳と体を守る。 


 ・脳と目の疲労を避ける

  (PC・タブレット30分で休む)


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☆ストレッチ


 ・胸を開く。かかと上げ下げゆっくりと。

 ・もも外側とアキレス腱5秒伸ばす。

 ・気がついたら姿勢よく(猫背は✖ 腰を立てる)


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☆祈る・信じる・頼る

 鎮まれ 鎮まれ 
 荒ぶるわたしの細胞よ 鎮まれ

 大丈夫 大丈夫
 きっと なんとかなる。



☆新しく何かする時

 ・簡単にできることを試す。

 ・努力がいることや難しいことは、決してしない。

 ・能力の限界を感じたら、頼る。


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☆寝る前に自分を思いやる


 ・今日も よく頑張った。さぁ、休もう。

  私にいいことがあるように。

  私が癒されるように。 

 

 ・ご飯を食べられたことに 感謝する

 ・よく働いてくれた手と足に 感謝する

 ・黙々と働いてくれた臓器たちに 感謝する。 


 ・グダグダの日は、夜まで持ちこたえた自分をねぎらう。

  お疲れさん。さぁ 寝よう。


====================


☆CFS患者へのアドバイス


CDC(米国疾病予防管理センター)
Myalgic Encephalomyelitis/Chronic Fatigue Syndrome のサイトから転載。

①「患者の声」シリーズから

 ・Andrew's Story

 私は医師ですが、発症するまで
 ME/CFSという言葉は知りませんでした。

 1986年8月の具体的な日は言えませんが、
 突然発症した人の多くは言えると思います。

 ME/CFSと共に生きることを学ぶ必要がある。

 自分の状態を把握し、
 パターンを認識することが重要です。

 何が事態を悪化させ、
 何が助けになるのかを見極めなければならない。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

②CDCのアドバイスから

*予防接種

予防接種は免疫システムに必ず影響を及ぼしますので、不可欠と思われるもの以外のどんな予防接種も避けることが賢明です。


*リラクゼーション

自分でできることの一つは、
適切なリラクゼーション術を習うことです。

多くの方はたっぷりリラックスしていると言いますが、実際には身体的にも精神的にも解放された時間を過ごしていません。

ゆっくりしたリズム(1 分間に40~60 拍子)の音楽も、リラクゼーションを誘導する非常に強い効果があります。

心臓がリズムに合わせようとしてゆっくりになります。

一日に一時間はリラックスする時間をとるように努め、全く邪魔されることのないようにして下さい。

必要であれば電話を切っておく。
誰からも邪魔されずに
静かに過ごさなければならない特別な時間。

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2025-05-18

夫と私のこと&追記訂正

 

2月下旬、夫は片一方の腎臓と尿管を摘出した。

結局、ステージ3で、転移の可能性は低いらしい。


なぜか3月から一段と ダルい、ダルい、ダルいと訴える。

食事とコーヒー・歯磨き・入浴以外は、下に降りてこない。

ほとんどの時間は 横になって昔々のドラマを見ているらしい。

時々めまいや、足フラフラ感を訴えていた。


4/19(土)夕方

私には黙って、ごく短い散歩に出た。

本人は、足の様子を確認したかったらしい。

ゆるい坂を10m降りて、戻ってくる途中で息切れ。


道路脇の小さなところに座ったとたん意識が無くなり、

前のめりに倒れ 頭と肩を打った。意識はすぐ戻ったようだ。


肩の骨は大丈夫だったが、頭の傷からかなり出血。

血まみれになって帰ってきた。


子供と相談したが、興奮して話しているし、

動いているから「様子見でいこう」になった。


その後、入浴中にも1回、意識が無くなって倒れたらしい。

が、私はまったく知らなかった。


5/10(土)夜

入浴後裸のまま、椅子に腰かけたのは知っていた。

その後「ゴトン」と音がして、夫が仰向けに倒れていた。


私はベッドでタブレットを見ていた。

どんな倒れ方をしたのかわからないが、呼びかけても返事しない。


目は開いているが、視線は動かず。

尋常じゃない荒い息をして、下あごだけが不自然に横に動く。

後頭部をさわったが傷はない。


とりあえず枕を当てて毛布をかけたが、その状態が8分つづく。

すぐ子供に電話。

多分10分後には意識は戻った。

夫は「起きる」と言うが、起き上がれず。


20分ぐらい経ってからようやく起き上がり、椅子に腰かける。

水を飲ませると、暑いと言って、扇風機を持ってこさせ、風に当たる。


子供はたぶん、軽い熱中症のような状態になったのではないかと言うし、夫も「医者には行かない」と言うので、その日はそれで終わった。

が、私は気になってよく眠れなかった。


結局、3週間で、3回意識が無くなり倒れたことになる。

私の頭には、3回目の様子がまざまざとよみがえり、軽いトラウマになった。


月曜日。ついに私が騒ぎ、夫も「なんかおかしい」と思ったようで、自ら「総合病院への紹介状を頼む」と言い出した。


かかりつけ医は緊急かも?と思ったようで、

5/16に脳神経内科の予約がとれて受診。循環器にも回されたとか。


脳のCTでは特に問題なし。

子供の言う通り、「暑くなると倒れるのだろう」と言うことになった。


医師の注意は:

・厚着をさせない

・暑い時は散歩に行かせない。

・風呂はぬるめで

・風呂上がりに倒れてもいいように、床にふとんを引いてそこで着替える

 (これは実際にやってもらうと、パンツやステテコがはけない。ひっくり返りそうになる。やっとはいても、今度は椅子につかまっても立ち上がれない。医師の思い付きは無理とわかった)

以下、追記訂正:訂正します。

医師からは、椅子で着替える時に、横に倒れてもいいように椅子の横にふとんを置いとく、と指示されたそうです。

ブログ投稿後に2回、上でゴトンと音がした。
私は簡単には2階へあがれない。
階段下から尋ねると、起き上がる時に足がもつれ、たたらを踏んだらしい。
今は床にごく薄いふとんを敷いて、寝た姿勢でTVを見ている。
そこでTVをベッドで見るようにしたらどうかと子供に電話で相談した。

電話で話していて、私が勘違いしていたことがわかった。
大体、床に座ってパンツをはくのがどんなに難しいかわからないの?と言った。

あ~、私の無知と勘違いもだんだんひどくなっているようだ。

そして、我ながら、ブログで正確に説明できていないのもわかる。
つまり言葉を使う頭も 悪くなってきているのだ。


夫は、50年前に「完全右脚ブロック」とわかっていたが、その後特に、検査はしてこなかった。今回循環器の話では、

もう1本(私の推測では、左脚)が細くなり弱ってきている。こちらが切れるようになると「ペースメーカー」が必要。経過観察のために3か月後にくるように だった。

血液検査でも いつもの血糖と中性脂肪だけが問題だったようだ。


医師から見れば、

結局 老化ということになるのだろう。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~


夫は、私や子供が何か言いかけるとすぐ顔をしかめる。

干渉する、強制する、非難すると反射的に思い、

すぐに屁理屈の反論をする。


昔々から、私と子供たちには「殿様」として威張ってきた。

絶対、自分の思うことを要求して、

私たちの訴えに耳を貸さないというか、

まったく理解できないようだった。

自分がしたいように暮らしてきた。


が、ここにきて、更に筋金入りのガンコになった。

こちらの意見には、いや医師の意見に対してさえも、

自分のしたいことと違えば、

「自分の体のことは、自分が一番知っている」と言って、聞き入れない。


今回のことで、夫は「軽度認知障害」から

「認知症の段階」にすすんでいるのではないか と感じた。


物忘れが更にひどくなっていたのは気づいていたが、

1~2分前に言ったことと矛盾することを平気で強く言いはる。


「あんたが呆けているんだ」「人の話を聞いてない」と攻撃する。

つじつま合わせの作話もする。

ぐちゃぐちゃ並べてぼやいたが、どうにもならない。


子供は、結局 人間とはこうなっていくものだ と言う。

ましてや あの夫のことだから、好きにさせるしかない。

それで何か起きても、それは仕方がないと諦めることだと。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~


私はいろいろ増えた症状で、4月~5月は去年6月の最悪期につぐ具合の悪さだった。

今は余裕ができて考えないが、2回「安楽死」が頭に浮かんだ。

でも、日本では 100%不可能だ。

いいのか悪いのかわからないが、ティプトリー・ジュニアを思い出した。


ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア - Wikipedia

 (1915年 - 1987年)

私はごく平凡で才能もない日本人だ。

彼女の思考も内面に抱えていたという感情的問題もまったく理解できない。

が、自ら選ぶという行為に感嘆する。


本を読んだことはないし、どんな人なのかも知らないが、

なんとなく好きではなかった西部 邁(1939年 - 2018年) 。

が、その最後にも、少し共感した。


一方、最後まで生き抜いた、フリーダ・カーロもいるけれど。。。

フリーダ・カーロ - Wikipedia

 (1907年 - 1954年)

老いと痛みを生きるには、

冷静さと、知恵と、耐える力が必要だ。

現実を忘れ、何かに打ち込む時間も必要だ。


それを胸に、文字通り 何度も 刻め。

そして 人の老化は

あらゆる面ですすむと覚悟しておく。

そして、何か言う前に、それが適切かどうか 一旦 考えること。


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2025-05-09

喉の炎症(市販薬と医療用)


以下は、何でも覚えていられない自分用メモです。

内容が正しいかどうかわかりません。

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※下調べした市販の抗菌薬入りトローチ


①トピックAZトローチ【第3類医薬品】

 日新薬品


有効成分(6個中)

 アズレンスルホン酸ナトリウム 4.8mg

 グリチルリチン酸二カリウム 15mg

 セチルピリジニウム塩化物水和物 6mg

のどの炎症による声がれ・のどのあれ・のどの不快感・のどの痛み・のどのはれ、口腔内の殺菌・消毒、口臭の除去。


15歳以上:1錠:4〜6回

5〜6日間使用しても

症状がよくならない場合は使用を中止。


*グリチルリチン酸二カリウム

カンゾウ(甘草)の根の成分。

抗炎症作用や抗酸化作用を持つ。

総合感冒薬や鼻炎用薬などに配合。

長期使用や大量使用には注意が必要。

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セチルピリジニウム塩化物トローチ2mg「イワキ」

岩城製薬

陽イオン界面活性剤で、その殺菌作用により、口腔内や喉を殺菌・消毒する。

通常、咽頭炎、扁桃炎、口内炎の治療に用いられる。

成人は1回1錠(主成分として2mg)を1日3〜4回、
治療を受ける疾患や症状により適宜増減される。

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ベンザブロックトローチ【第2類医薬品】

 アリナミン製薬


有効成分(6個中)

デキストロメトルファンフェノールフタリン塩    60mg

グアヤコールスルホン酸カリウム 140mg

セチルピリジニウム塩化物水和物 6mg


せき、たん、のどの炎症によるのどのはれ・のどの痛み・のどのあれ・のどの不快感・声がれ

デキストロメトルファンフェノールフタリン塩がせき中枢にはたらいて、つらいせきを抑える。

かぜ薬など併用してはいけない薬がいくつかある。


11歳以上:1錠:6回:2時間以上空ける。

5~6回服用しても症状がよくならない場合は中止。

本剤を服用している間は、次のいずれの医薬品も使用しないこと。

他の鎮咳去たん薬、かぜ薬、抗ヒスタミン剤を含有する内服薬等(鼻炎用内服薬、乗り物酔い用薬、アレルギー用薬、催眠鎮静薬等)、鎮静薬


*副作用の可能性

 皮膚・・・発疹・発赤、かゆみ

 消化器・・・吐き気・嘔吐、食欲不振

 精神神経系・・・めまい

 呼吸器・・・息苦しさ、息切れ

 眠気の継続がある場合は、中止。


まれに下記の重篤な症状

 ショック(アナフィラキシー)

服用後すぐに、皮膚のかゆみ、じんましん、声のかすれ、くしゃみ、のどのかゆみ、息苦しさ、動悸、意識の混濁等があらわれる。


*デキストロメトルファンフェノールフタリン塩

 メジコン(一般名:デキストロメトルファン)

フェノールフタリン酸デキストロメトルファンとも言うみたい。

経口投与後、DXMは消化管が速やかに吸収されて全身血中に入る。血液脳関門を通過する。

DXMは臨床用量で中枢神経系に対して末梢(気管)と逆の作用をする。気管で繊毛の働きを妨ずに、咳の閾値を上昇させる。

咳中枢に作用して閾値を上昇させれば、咳を鎮めることができる。

脳の咳中枢に作用することで鎮咳作用を示す薬が

メジコン(一般名:デキストロメトルファン)。

国際咳嗽学会(International Society for the Study of Cough)は、「成人に対しては初回60mgを投与し、1日投与回数は4回以内とすることが望ましい」との声明を出した。(ウィキ)


*グアヤコールスルホン酸カリウム

フェノール系の誘導体で、弱い消毒作用と去痰作用(気道分泌を促進して痰の粘度を低下)を有する。

鎮咳去痰を目的に、一般用医薬品のかぜ薬や鎮咳去痰薬に配合されている。


ーーーーーーーーーーーーー


④新コルゲンコーワトローチA 指定医薬部外品


のどの痛みやはれ、声がれ。

痛みやはれを鎮めるグリチルリチン酸二カリウム、炎症が悪化しないように、口やのどを殺菌・消毒するCPC(セチルピリジニウム塩化物水和物)、のどの粘液分泌を増加させる生薬成分であるセネガ乾燥エキスを配合。

小児(5歳以上15歳未満)も1回1個、1日2~3回使用できる。

成人(15歳以上) 1個 4~5回


・成分5個中

グリチルリチン酸ニカリウム 15.0mg

セチルピリジニウム塩化物水和物(CPC) 5.0mg

セネガ乾燥エキス 23.95mg

(セネガとして400mg)

ーーーーーーーーーーーーー


ヴイックス メディカル トローチL

●殺菌成分:

 CPC(セチルピリジニウム塩化物水和物)

 のどの炎症によるのどの痛みを鎮めます。


 ●せき止め成分:

 フェノールフタリン酸デキストロメトルファン

 つらいせきを鎮め、呼吸を楽にします。

 

●去たん成分:

 グアヤコールスルホン酸カリウム 

 のどに絡むたんを出しやすくします

1錠中: 

セチルピリジニウム塩化物水和物 1mg

 のどを殺菌・消毒します。

フェノールフタリン酸デキストロメトルファン 7.5mg

 せき中枢にはたらいて、つらいせきを鎮めます。

グアヤコールスルホン酸カリウム 22.5mg

のどにからんだたんをやわらかくして出しやすくします。

*注意(ヴイックスメディカルトローチとは違う)


*ヴイックスメディカルトローチ

1錠中: 

セチルピリジニウム塩化物水和物 1mg

dl-メチルエフェドリン塩酸塩 6.25mg

グアヤコールスルホン酸カリウム 22.5mg


8歳以上:1回1錠。

1日6回服用。

8歳未満:服用しないこと。


発疹・発赤、かゆみ

吐き気・嘔吐、食欲不振

めまいなどの症状。

3.5~6回服用しても症状がよくならない場合は服用を中止。

医師、薬剤師に相談。


*dl-メチルエフェドリン塩酸塩

交感神経を刺激することで気管支を広げて呼吸を楽にし、咳を鎮める成分。

この作用を利用して、総合感冒薬(かぜ薬)や鎮咳去痰薬、鼻炎用内服薬などを中心に広く使用。

局所の血管を収縮させることで出血を抑える効果により、痔疾用外用薬にも配合。

・注意事項

病気の治療中の人、甲状腺機能亢進症、高血圧、心疾患、糖尿病、脳出血などの既往歴のある人、薬を服用中の人、妊娠中または授乳中の人、高齢者は、使用前に医師または薬剤師に相談。

交感神経刺激作用に伴う血圧上昇、心悸亢進(動悸)、指や手のふるえ、頭痛、不眠、めまい、吐き気、食欲不振、口の渇き、イライラ感、不安感などの副作用が報告。医師または薬剤師に相談。

ーーーーーーーーーーーーー


⑥ピタスメディカルトローチ

 大鵬薬品

 指定医薬部外品

殺菌作用のあるセチルピリジウム塩化物水和物がお口の中の殺菌・消毒。

(6個中)

(6個中)

フェノールフタリン酸デキストロメトルファン 60mg

グアヤコールスルホン酸カリウム 140mg

セチルピリジニウム塩化物水和物 6mg


成人(15歳以上) 1個 4~6回

15歳未満 使用しないこと。

皮ふ:発疹・発赤、かゆみの症状。

1週間使用しても症状がよくならない場合は使用を中止。

ウメ風味。

口腔内の殺菌・消毒、のどの炎症による

痛み・腫れ・痒み・不快感、声がれ、口臭除去に効果。

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※下調べした医療用の薬


①消炎鎮痛薬

ロキソニン。バファリン。イブなどの消炎鎮痛薬。

咽頭の炎症を抑える作用を持つ。

バファリンの有効成分であるアスピリンは、

とくに飲み込むときの痛みに対して1-6時間程度の効果を発揮すると報告。


イブの有効成分であるイブプロフェンは32-80%の患者に対して、

2-4時間の痛みの改善を見込める。


・アセトアミノフェン(カロナール)

咽頭の炎症に対しては作用がゆっくりで穏やか。

アセトアミノフェンを服用して3時間後から

喉の痛みを50%程度軽減すると報告。


ーーーーーーーーー


②トラネキサム酸


人工合成されたアミノ酸。

止血剤・抗炎症剤として出血の予防・治療に用いられる。

消炎鎮痛薬とは異なるメカニズムの炎症を抑える作用。


1962年に岡本彰祐と岡本歌子により開発された。

WHO必須医薬品モデル・リストに収録されている。


扁桃腺炎・喉頭炎による咽頭痛、

口内炎による口内痛及び口内粘膜アフタなどに適応がある。

抗炎症作用として耳鼻科領域の喉の痛みを緩和することは出来るが、

解熱作用はない。


・トラネキサム酸錠250mg「YD」

 日医工株式会社


市販の一般用医薬品にも配合される商品がある

(例:アリナミン製薬のベンザブロック)。


通常成人1日750〜2000mgを3〜4回に分割経口投与する。

年齢、症状により適宜増減する。


・主な副作用が出たら 使用中止。


 食欲不振、悪心、嘔吐、胸やけ、

 眠気、そう痒感、発疹など


・注意が必要

薬や食べ物で、かゆみ、発疹などのアレルギー症状が出たことがある。血栓(脳血栓、心筋梗塞、血栓性静脈炎など)、血栓症のおそれ、消費性凝固障害、手術後寝たきり、腎不全がある。


他に薬などを使っている(お互いに作用を強めたり、弱めたりする可能性もある。使用中の一般用医薬品や食品も含めて注意)。


*国内二重盲検比較試験


耳鼻咽喉科疾患(急性咽喉頭炎、急性扁桃炎、口内炎等)の患者168例を対象に疼痛、腫脹及び発赤に対する効果をトラネキサム酸(84例)とプラセボ(84例)との二重盲検比較試験により検討


有効以上はプラセボ26.2%(22/84例)に対しトラネキサム酸52.4%(44/84例)で、トラネキサム酸が有意(p<0.05)に優れていた。

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※医療用医薬品の抗菌薬入りトローチ


・SPトローチ

デカリニウム塩化物を主成分とし、

咽頭炎、扁桃炎、口内炎、抜歯創を含む口腔創傷の感染予防に用いられる。


・アクロマイシントローチ

テトラサイクリン系の抗生物質。

通常、抜歯創・口腔手術創の二次感染、感染性口内炎の治療に用いられる。

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追記 2025.5.10

いろいろ起きすぎて、心身の余裕がまったくありません。

ブログ村のランキングは とりあえず、不参加にしました。

今までバナーを押して下さった方へ。

ありがとうございました。m(_ _)m