久しぶりに
心動かされた曲を聞いたので 書いています。
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1897年、ノルウェーのヨハン・ハルヴォルセンが、
ヘンデルのハープシコード組曲第7番の第6曲
「パッサカリア」の変奏曲を作りました。
それが「ヘンデルの主題によるパッサカリア」です。
元になったヘンデルの曲は ト短調。
哀愁を帯びたメロディなのですが、
ハルヴォルセンのオリジナルの曲は
ヴァイオリンとヴィオラの二重奏。
テンポも速く、哀愁よりも迫力があります。
私の耳では敬遠したい。
それを装飾音なしで、
シンプルに、ゆっくりピアノで弾くと
↓↓のように 変わります。
【パッサカリア ゆっくり動画0.5倍速 /ヘンデル=ハルヴォルセン ピアノ】
https://www.youtube.com/watch?v=37j_9fexMMA
聞いたときに頭に浮かんだのは
2つの光景です。
1つ目は、桜の花びらが 静かに散る景色。
2つ目は、遠くを眺めながら
静かに涙を流す人。
彼は、自分が失ったものを思い返しています。
ただし、失ったことを悲しみ嘆くのではなく
それを受け入れ ただ思い出しているだけ。
すべてのものは 出会っては別れるもの。
そんな気持ちでいます。
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1つ目の桜の花びらが散る景色は、
一度だけ 見たことがあります。
前の前の住まいは 緑地の近くでした。
杖をついて
春・初夏・秋・初冬と 散歩に行きましたが、
夫にうながされ
ソメイヨシノも何度か見に行きました。
↓↓は、緑地の東北側の狭い裏口からすぐの右側の道。
桜並木のゆるい坂が100mぐらい続きます。
坂道の小さな土手の下にもサクラが並んでいます。
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実は 私は
ソメイヨシノが好きではありません。
サクラを見に行きたいと思ったこともありません。
ソメイヨシノの花は、一輪だけ見ると繊細で
開き始めの花も、光が透けて見える花も美しい。
でも 満開のサクラ並木になると・・・
過去のいくつもの苦い記憶とリンクして
あまり見たくないものでした。
小中高 どこの学校に行っても校庭には
ソメイヨシノが何本か植えてあります。
サクラは、入学や卒業ともからんで
先生や生徒、多くの親にとっても
思い出の中に出てくる花かと思います。
多分、多くの人にとって
学校は よかった場所であり
なつかしい場所になるのでしょう。
が、私と子供にとっては
そうではありませんでした。
ソメイヨシノの並木は、
学校という場所を美化する
額縁のようにさえ感じたのです。
春の花なら 早咲きの寒桜や
ヤマザクラ(山桜)の方が好きでした。
そしてサクラより
白い梅の花がずっといいではないか。
花の香りも
一部が薄赤く色づいた青梅も愛らしく、
サクラよりずっと好ましい。
白いサザンカや
白木蓮も サクラよりずっといい
なんて思っていました。
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話を元に戻します。
ある年、夫がサクラを見に行こうというので
緑地に出かけたのですが・・・
たまたま 風が少し吹いていたからでしょう。
花びらが音もなく 頭上から次々に降ってきました。
もう散ってるなと夫はスタスタ先に歩いて行ったのですが、
私は立ち止まって 空を眺めていました。
花も終わりのせいか 誰もいなく、
ポカンと口を開けて眺めているのは私だけでした。
その時 なんとも言えない気持ちになりました。
もう朧気ですが、
ソメイヨシノは、ソメイヨシノにすぎないし、
この桜吹雪の見事な景色。
この美しさは ほかの花にはない
などと思ったような気がします。
その時、ソメイヨシノと学校のリンクが
はずれたのだと、今は思います。
ソメイヨシノの花は、
<春の訪れ>や
<平和な春>の象徴のような感じでしょうか。
今の住まいのすぐ近くにもソメイヨシノの並木があって
4月にはたくさんの人が、スマホで写真を撮っています。
花にはまったく興味がない夫も見に行っては
少し咲き始めた、もう満開だから
ちょっと見に行ったら
写真を撮ったら などと 毎年私に言います。
一度だけ付き合って見に行って
写真も撮るには撮ったのですが
残念ながら 花一輪に光が透けて見えるような
そんな写真は撮れませんでした。
花びらの厚さや色も 刻々と変わります。
終わりごろになると
花びらも薄くなり 光が透けて見えるようになるのです。
桜吹雪なら もう1回見てもいいかな...
と思ったりもしましたが、
あれも、一度だけでもういい。
今はそんな気持ちに変わりました。
花びら一枚一枚が、ヒラヒラ舞い落ちる景色は
私だけでなく 古来多くの人に
もの思わせたてきたことでしょう。
2 件のコメント:
空さん、こんばんは。
空さんの桜吹雪の風景を読んで、私も同じような経験をしたことを思い出しています。私が30代の終わりごろ、家の近くにカソリックの修道院があり、そこの門を入ったところに桜並木があったのです。訪ねてきた知り合いと、桜が満開だからと一緒に見に行ったのです。桜の花びらがひらひらと途切れることなく、散っていました。それは、そのほかの何物もないように、ただ桜だけが満開の枝から散っていたのでした。私は茫然とそれを見ていましたが、何も感じることもなく、ああ、と思っていたのでした。それはそのままに孤立した風景だったと思います。その風景は、今もずっと風景として私の中にあります。風景としてあるものは、たいてい人も一緒にいるのですが、この桜は風景としてのみ存在しているようです。それになんの意味もありませんが、存在する絵があり、音があり、と思います。人の頭の中は、たくさんの美しいもの、魅了されるもので一杯なのだと思っています。
とても寒い日が続きましたね。寒さが堪えるようになりました。あまり無理されないように、お元気でいらっしゃいますように。
beautiful-sunsetさん
あ~ あなたも桜吹雪をご覧になったのですね。
私は雪国に住んでいたことがあるので、灰色の空からとめどなく降る雪は一人で何度も見上げたものです。でも、青い空から花びらが優雅に舞い降りるのは初めてで、驚きと感嘆で茫然としました。
私にはいくつか、忘れられない小さな光景があります。目に飛び込んできた小さなサザンカの花一輪。悩んでいた時に見た夜明け前の空。子供たちの一瞬の表情。母の末期ガンを隠して、転院することになったと一言だけ話した時に母が向けたまっすぐな視線。いくつかの絵や、短い言葉などなど。
きっと人それぞれにそういうものがあるのでしょう。それが世界との「出会い」なのだと思います。自分でうまく説明できなくても、脳内ではいろいろなものが結びついて、何かを感じ思ったのでしょうね。人生って面白いですね。
夫の旺盛な食欲が戻ったのはいいのですが、毎日の調理にはちょっと疲れてウンザリ気味です。昨日はサボりました。寒さは本番ですが、これからは日差しが長くなりますね。コメントありがとうございました。それではまた。
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