2025-08-03

ChatGPTに、慢性頭痛について質問する①

 

ほんの少しですが、頭痛が軽くなりました。

気力もちょっぴり戻ったので、頭を整理するために、

ChatGPTに質問しています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


私:

PDF「頭痛診療ガイドライン2021」の271P~273Pに、

慢性緊張型頭痛のメカニズムが説明されています。

まず、末梢性疼痛メカニズムについて、わかりやすく説明してください。


ChatGPT:

PDFの説明を中学生でもわかるようにまとめると、

慢性緊張型頭痛の「末梢性疼痛メカニズム」はこんな流れです


*末梢性疼痛メカニズム(簡単に言うと「筋肉や筋膜の過敏化」)

1.首や頭の周りの筋肉がこって圧痛が出る

前頭部やこめかみ、首の筋肉(僧帽筋など)がこりやすく、

押すと痛い状態になります。

この圧痛は頭痛の頻度や強さと関係しています。


2.筋肉の緊張で「発痛物質」が出る

長時間の悪い姿勢やストレスで筋肉が緊張すると、

サブスタンスP

グルタミン酸

などの物質が放出されます。

これらが神経のスイッチ(NMDA受容体)を刺激し、

発痛物質(ブラジキニン、セロトニン、プロスタグランジンなど)を作り出します。


3.神経が過敏になる(末梢性感作)

発痛物質が神経を繰り返し刺激すると、

その神経の「痛みの閾値(しきい値)」が下がります。

すると、本来なら痛くないくらいの弱い刺激でも

痛みを感じるようになります。

これが「末梢性感作」です。


4.トリガーポイント(筋膜圧痛点)の関与

筋肉の中に「しこり」のような硬い部分

(トリガーポイント)ができ、そこを押すと痛みが広がります。

ごく小さな筋肉の損傷でもこれが起こり、

末梢性感作や関連痛の原因になります。


もしご希望であれば、この末梢性の流れを「イラスト付きの図解」にして、さらに理解しやすくできますが、作りますか?


私:

では、「イラスト付きの図解」にしてみてください。


ChatGPT:












私:

つまり、1→2→3→4(トリガーポイントができる)の順番に

すすむと考えていいのですか?


ChatGPT:

はい、おおまかには 1 → 2 → 3 → 4 の順番で進むと考えて大丈夫です。

ただし、実際の体ではこれらがきれいに一方向だけで進むわけではなく、

**互いに影響しあう「悪循環」**になります。

例えば、トリガーポイント(4)ができると、

その部分がまた筋肉の緊張(1)や発痛物質の放出(2)を引き起こし、

それがさらに神経の過敏化(3)を強める…という具合です。

もしご希望なら、この「悪循環」の模式図も作れますが、作りますか?


私:

ありがとう。「悪循環」の模式図は必要ありません。

以下は、私が「日本で一般的に行われているもの)として、

理解していることです。

274P~276Pに、末梢性疼痛メカニズムに対する療法が出ていますね。


首や頭の周りの筋肉の緊張を避けるために、セルフケアの注意がされる

(休憩・ストレッチ・頭痛体操・マッサージ・つぼ押し)

「発痛物質」(ブラジキニン、セロトニン、プロスタグランジンなど)の生成を抑えるために、アセトアミノフェンや、NSAIDsの鎮痛薬を飲む

③予防として、三環系抗うつ薬やSNRI

④トリガーポイントには、神経ブロック注射


③や④は、専門のクリニックや専門外来でないと、

実施されていない気はしますが。

私の理解は正しいですか?


ChatGPT:

はい、その理解はほぼ正確です。

ガイドラインの記載と照らし合わせると、以下のように整理できます。


① 筋肉の緊張を避けるセルフケア

 ・長時間同じ姿勢を避ける

 ・適度な休憩、ストレッチ、頭痛体操

 ・軽いマッサージやツボ押し(過剰に強くしない)

 ・睡眠・姿勢・作業環境の改善

  → 末梢性疼痛メカニズムの**最初の段階

  (筋肉のこり・圧痛)**に介入する方法です。


② 発痛物質の生成を抑える薬

 ・アセトアミノフェン

 ・NSAIDs(ロキソプロフェン、イブプロフェンなど)

 → 筋肉緊張による発痛物質

(ブラジキニン、セロトニン、プロスタグランジンなど)の生成や

 作用を抑える目的。


ただし使いすぎると薬物乱用頭痛のリスクがあるので注意。


③ 予防薬(慢性化している場合)

・三環系抗うつ薬(アミトリプチリンなど)

・SNRI(デュロキセチン、ミルナシプランなど)

 → 神経の過敏化(末梢性~中枢性感作)を抑え、痛みの閾値を上げる。

 → 専門外来や慢性頭痛に詳しい医師での処方が多い。


④ トリガーポイントへの介入


・局所麻酔薬によるトリガーポイント注射

・神経ブロック(後頭神経ブロックなど)

 → トリガーポイントや関連する神経を直接鎮静化し、痛みの悪循環を断ち切る。

 → 多くはペインクリニックや頭痛専門外来で実施。


つまり、①②は比較的どこでも行われやすく、

③④は専門性が高い医療機関で主に行われる、

というあなたの感覚はガイドラインとも一致しています。


もしご希望であれば、これらの治療を**「末梢性疼痛メカニズムの流れ」に沿って対応させた図**にしてお見せできますが、作りますか?


私:

>「末梢性疼痛メカニズムの流れ」に沿って対応させた図は、不要です。


「国際頭痛分類」を参考にすると、

私の頭痛は、「頻発反復性頭痛」から、

「慢性緊張型頭痛」にすすんだものだと思います。

先日脳神経内科を受診したのですが、

「おそらく慢性緊張型頭痛」という診断でした。


頭痛専門医ではないので、

「薬は、かかりつけ内科医に相談してください」

と言われたのですが、かかりつけ医も、

私のような患者(ME/CFS。線維筋痛症。そして慢性緊張型頭痛)は初めてで、

どうしていいかわからないとよく言われます。

県内には専門医は皆無です。

で、自分で調べて、こちらから医師に「この薬を試してみたい」と

お願いしてきました。

そういう事情であなたに質問しています。


ChatGPT:

なるほど、状況がよくわかりました。

つまり今は

・診断は「おそらく慢性緊張型頭痛」

・ME/CFSや線維筋痛症と重なっており、痛みや倦怠感が複合的

・県内に頭痛専門医がいない

・かかりつけ医も経験が少なく、こちらから提案しないと進まない

という中で、自分で調べて候補薬を提示しながら進めているわけですね。


こういうケースでは、ガイドラインの記載をそのまま医師に見せても、

専門でない先生にはハードルが高い場合があります。

ですので、

・エビデンスがあり、一般内科でも処方経験が比較的多い薬

・投与量や注意点がわかりやすい薬

から候補を提案していくのが現実的です。


もしよければ、

ガイドラインで慢性緊張型頭痛に推奨される予防薬のうち、

・一般内科で処方しやすいもの

・使う時の注意点(併用や副作用の観点)

を整理して、医師に提案しやすい形にできますが、作りますか?

これは「薬を出してほしい」というお願いメモにも使える形にできます。


私:

ありがとう。薬については、また改めて質問します。

(長くなるので次回につづきます)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ChatGPT の回答は必ずしも正しいとは限りません。

重要な情報は確認するようにしてください。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ブログ村に再登録しました。今回は山の写真にしてみました。

にほんブログ村 シニア日記ブログ
にほんブログ村


2025-07-06

やれやれ。。。orz&お知らせの追記

 

4/8から毎日頭痛。

6月に入ってからは、1日中続く。

(しかも、レベル7~7.5)

夜中も レベル6。


今回も 呉茱萸湯・五苓散

市販頭痛薬(イブプロフェン入り)を試したが

効かなかった。


今回の特徴は、ひどい頭重感と

頭もうろうもあること。


頭が ほとんど働かない。

何か考えようとしても 続かない。

目は 半開き状態が多い。


ときどき MSDマニュアルや

頭痛の診療ガイドラインを眺めたりするが、

読んだはしから 抜けていって

知識が 積みあがらない。


もうろう・フラフラしながら

最低の家事はなんとかしているが、

これで2回、子供に頼んで 

2日分のおかずを作ってもらった。


月1回の掃除機がかけられなくて

全部、ワイパーとコロコロで済ませた。


まだご飯の味はわかる。

でも、感情が出てこない。


脳に、灰色のセメントが詰まったようで、

悲しいという気持ちさえ無くなってきた。

最近は、涙も出てこなくなった。


10年間アルツハイマーだった夫の両親も、

こんなふうに見えた・・・


喜怒哀楽や意欲が 消える。

ただ ぼ~っとしている。


夫の母は始めのころ1度だけだが、

「自分は生きる屍になった」と言った。

その言葉のわりには

プライドの高さはずっと維持されていたが。


頭痛ともうろうもだが、

私も、軽い認知障害も始まっているのでは?

と思ったりする。


夜の祈りも、壁に貼った祈りの言葉を読むだけで

実感がない。


寝る前にただ思うのは、

あ~ やっと眠れる ということだけだ。


日記や受診ノートを見返して

去年4~7月も頭痛で

脳のMRIだけ撮ってもらったのを思い出した。


結果は、特に「頭痛と結びつく異変はない」だった。


それもあって、

脳神経内科の受診は子供が大反対していた。


でも一昨日 もう我慢の限界になって

「MRIだけでも 撮ってもらいたい」と

子供に泣いて言った。


子供は、「今は感情的になっていて判断できない状態だよ。脳はなんともないはず。痛みの閾値がさがっているだけだと思う」と言ったが、「もう好きにして」で終わった。


で、かかりつけ医に電話。

今回はMRIだけではなく、受診したほうがいいだろうと、

予約を取ってもらえた。


多分 子供が言うとおり、

痛みの抑制回路に問題があるのだと思う。

つまりは、線維筋痛症と同じことだ。


一つ残念なのは、

どうやら2年前に、頭痛専門医が移動されて

今はおられないことだ。

でも、頭痛専門医の病院までは

車で最低1時間はかかる。

それは私の体力では無理。


たぶん 無駄な受診に終わるんだろうな。

私は 何をしているんだろう。


痛みやもうろうは もうたくさん!

そう言いたいが、

たぶん それは叶わない。


痛みと感情にふりまわされて

残りの時間を過ごさなけなければならないのだろう。


子供に メンドウをかけながら。。。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

2025.7/15 追記

先日、脳神経内科に行きました。

MRIは予約がずっと満杯のようで、その日に撮れるからと、CTになりました。

頭痛についてのメモを渡し、けっこう辛いんですと話しましたが、

結果は、想像どおり

「たぶん慢性緊張型頭痛で、解決策はない。

 線維筋痛症と頭痛は関係ないと思う。

 眠剤やプレガバリンの副作用でもないと思う。

 薬については、かかりつけ医と相談して。

 ひどくなったら、また来て下さい」で終わりました。

病院滞在時間は、約4時間半。


フラフラしながら最低の家事をやり、

正気を保たなければ と自分に言い聞かせる毎日です。

余裕がまったくなくなったので、ブログ村は止めました。


このブログも削除しようかと思ったのですが、

思い直し、当分の間は このままにしておきます。

多分、記事の更新はしないと思いますが、

もしも少しでも元気になれたら また何か書きます。m(_ _)m 



2025-06-02

トゥルク・トンドゥップ『心の治癒力』から

 

2015~2018年、いろいろな仏教のサイトと本。

そして、瞑想の本を次々に読みました。

仏教を理解して、瞑想を実践すれば、

痛みを少しでも軽くできるか? と思ったからです。


『法句経』『スッタニパータ』に始まって、

禅宗や大乗仏教へ。瞑想のCDや本も。


ティク・ナット・ハン師の本は5冊も読んで

メモ帳に打ち込んだりもしたのですが、

今はもうそのメモは残っていません。本も結局処分しました。


結局、仏教は理解できず、瞑想も身につきませんでした。


唯一、メモ帳に残っていたのが、

トゥルク・トンドゥップさんの本からの転載メモ(2016年)です。

私にもなんとなくわかる気がした印象的な部分だけをメモ帳に打ち込みました。


以下は、そのメモの再録です。

今も理解できない部分、実行できない部分があるのですが、

たまに読み返したくなったのでブログに残しておきます。

・トゥルク・トンドゥップ(Tulku Thondup)            

 1939年チベット生まれ

原著は

The Healing Power of Mind: Simple Meditation Exercises for Health, Well-Being & Enlightenment Hardcover – August 20, 1996


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


*序文


・・・・インドへのチベット難民は約十万人を数えたが、

その多くが食べ物、水、気候、高度の変化のために死んでいった。

生き残った者たちにも、

チベットに残した愛する者たちの苦しい生活が、

日夜ちらつく毎日だった。


そういう暗い日々にあって、

わたしを導き、慰めとなってくれたのは、

心の中にはぐくんだ仏教の智慧の光だった。


もしも問題解決が可能で、

しかも、そのために努力することが有意義なら、

平和な落ち着いた心と開かれた態度、

そして喜びに満ちた姿勢で、

解決のために、じぶんの生活を捧げようとした。


もしも解けない問題であれば、

やっきになって燃えつきてしまったり、

時間を無駄にし、エネルギーを浪費しないようにした。


どちらの場合も、感情や頭の中の固定観念に執着したり、

その上に長く居座ったり、気にしたりせず、

ただ、流れていくにまかせた。

そんなことをしても、状況は悪くなるだけである。


シャンティディーバはこう言っている。


「問題を解くことができるなら、心配する必要はどこにあろうか。

 解くことができないなら、心配することになんの意味があろうか」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


*第一章 治療の土台


癒しの道


P43:


我執をゆるめ、リラックスしたいと思うなら、

あまり一生懸命になりすぎるのはよくない。

簡単な方法を取るのがいい。


進歩したら、どれほど小さくても

その一歩を喜ぶことが、とても大事だ。

そうすれば、その一歩は力強いものになる。


じぶんにできることを評価しなさい。

できないことについて、思い悩むのはやめなさい。


・・・・・じぶんを観察し、

どんな道を進んだらいいか、知恵をはたらかせなさい。


先入観を捨て、開かれた態度をもって対しなさい。

・・・・最良のガイドは、じぶん自身の中にある智慧である。


瞑想の方法にとらわれたり、しばられてはならない。逆だ。


人生のすべてーー

考えること、感じること、日常的な活動や体験ーーは

癒しの方法になり得る。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


*第二章 


世間の中でいかにして生きるか


P49:


完全にマイナスであるように見える問題に対して、

実際的な態度をとることは可能だ。


ストレスに満ちた状況にあるとき、

そのことを認識し、そして和解するのである。


「確かに状況は悪い。でも、大丈夫」というわけだ。

困難な状況に対して、ヒステリーを起こしたり、

マイナスの見方の連鎖を紡ぐことがなければ、衝撃は力を失う。


なぜなら、人生のどんなものごとであれ、無常だからだ。

困難も例外ではない。遅かれ早かれ変化する。


そのことを知っていれば、

癒しの次の段階に、静かに進むことができる。


P50:


仏教の見解によれば、感情は、

究極的にはよいものでもなければ、悪いものでもない。

どんな感情であれ、それを受け入れ、

また歓迎するべきなのである。


愛着、執着、混乱、怒りに対して、

まだ十分な抵抗力がなければ、

「何をしたいか」ではなく、

「何をするのが正しいのか」を考えたほうがよい。


癒しの道を進むとともに、そうやって、

正しい意思を育てていく必要がある。

心が感情を導くようにするのである。


     ーーー


人生にとって、何が大切か


P51~52:


食べ物、服、家、健康、世話、教育は、

貴重な人間としての生活を保つうえで、必要なものだ。


人間社会に一員としてお互いを尊重し、

また、それぞれの基本的な欲求を尊重し、

他人を益するための社会的な制度を尊重する必要がある。


しかし、それ以外の外的な事物のどれ一つとして、

わたしたちの時間、平和、エネルギー、

そして人生の大いなる贈り物である知恵を

かける価値のあるものはない。 ・・・・・・・


・・・・金もうけをすることが、

それ自体として苦しみの原因になる、というわけではない。


だが、じぶんの人生を、

外的な所有物の過酷な支配に明け渡してしまえば、

平和も喜びも死んでしまう。


同じく貧しい人々も、

生き延びるための戦いの罠にはまっている。

じぶんが手にしているごくわずかなものすらも、

もっと大きな苦痛がやってくるのではないか、

という恐れゆえに、楽しむことができないのである。


P55~56:


わたしは、現代生活のやり方を無視できるとか、

そうすべきだ、と言いたいわけではない。

基本的な欲求を満たすことなしに、

生きていくことはできないし、

実際に、また人々の抱いている一般的な考え方を

尊重していくことは大切なことだ。


だが、ものごとのすべてを視野に入れるように努めるべきだろう。


じぶんたちは誰であり、どこに立っており、

何が本当に価値があるものであり、

どうやって世界の中で生きていったらいいのかを

理解するのは、一番大切なことだ。


P57~58:


難民としての生活を始めたばかりのころ起こった、

ある出来事は、わたしに強い印象を残している。


わたしは、数人の友人とともに、

インドのヒマラヤ丘陵地帯の美しい町、カリンポンに到着した。

丘陵の頂上の墓地の近くで、

わたしはたちは休み、お茶を飲もうとしていた。


疲労し、空腹で・・・・・

わたしは、煮炊きをするために、石と薪を探しにいった。


丘の裏側に行ってみると、一人の年老いた僧侶がいた。

大きな顔と、小さくきらきら輝く目をしていて、

七十代の後半か八十代の始めぐらいだった。

丸顔と高い頬骨から、モンゴルから来たラマだろうとわたしは思った。


その僧侶は、古びた家の裏手の小さな部屋に座り、

扉と窓を大きく開け放していた。

部屋の大きさはと言えば、8フィート(2.4m)四方ぐらいだったろうか。


その小部屋で、彼は瞑想し、経文を読み、

料理し、眠り、ほかの人々と話し、

一日中同じベッドで、結跏趺坐で坐っていた。

壁の棚には、いくつかの法具と経典が載せられた、

小さな祭壇がしつらえていた。


ベッドのそばには、とても小さな食事用のテーブルがあり、

また、彼はそれを勉強のための机にも使っていた。

そのテーブルの近くには、小さな石炭ストーブがあって、

その上で、じぶんのために簡単な料理をしていたのである。・・・・・・・


彼の顔はやさしげな、

そして、喜びに満ちた笑いに弾けた。・・・・・・・・・


すると、心を安らがせるような声で彼は言った。


「あまり食べ物はたくさんないけれども、

 今、食事を作ろうとしているところだ。

 いっしょにきて食わんかね。」


わたしは「ありがとうございます。でも遠慮します」と答えた。

友達が待っていたからである。


そうすると彼はこう言った。

「では、しばらく待ちなさい。

 料理が終わったら、わたしのストーブを持っていったらよい。

 お茶を淹れるくらいの石炭はまだ十分にあるよ」


私は自分が目にしているものに、驚き呆れていた。

僧侶はとても年を取っており、

自分の生活をするだけでも大変なように見えた。


にもかかわらず、その小さな目は慈悲に満ちており、

優雅で威厳に満ちた姿は、喜びにあふれていた。

開かれた心は、

人と分かち合いたいという気持ちに満ち、

心は平和なものだった。


はじめて会ったにもかかわらず、

まるで古くからの友人のように、わたしに話しかけていた。


身を震わすような幸福と、

平和と、喜びと、驚異の感覚が、わたしの全身を貫いた。


その僧侶は、心のありようにおいて、

そして、精神的な強さによって、

世界でもっとも幸福な人間の一人として輝くように存在していた。


しかし、物質的な世界の見方からすれば、

家もなく、仕事もなく、望みもない存在だったのである。


貯金もなく、収入もなく、

家族からの援助もなく、社会的に得るものもなく、

政府からの援助もなく、国もなく、未来もなかった。

それにもまして、外国に逃げた難民であったにすぎず、

地元の人々と話しをすることもほとんどできなかった。


今日ですら、あの僧侶のことを思い出すと、

そのありようを思っては驚異の念に頭を振り、

心の底から祝福の感情があふれてくるのを止めることができない。


もう一つ付け加えておきたいのだが、

その僧侶だけがそういう性質をもった唯一の人格、

というわけではないのである。


素朴で、しかも偉大な存在というのは、たくさんいる。

(今読み返し、このエピソードを意地悪く想像すると、 何も持っていない孤独な老僧が、自分と同じ境遇の若い著者に心を開き、分かち合おうとした・・・とも言えそうだ。) 


     ーーー


P61:


・・・・祈りを世俗的に考えるならば、

幸せで喜びに満ちた感情を、

じぶん自身の言葉にすることであるだろう。

それをとくに大声を出して言う必要はない。

こころの中で静かに言うことだってできる。


大乗仏教は問題を変容させ、

自我を融解させることに関心を抱いている。


慈悲は、そのために、

とくに大きな癒しの力をもつ道具だと考えられている。

他者に手を差し伸べようとするとき、

かたくな自我はやわらぎ始める。・・・・・・・・・・・・


他人に配慮し、ただ平和で自然にリラックスしているだけで、

日常的な活動や仕事ーー呼吸ですらもーーは、

癒しの修行の一部となり得る。

また自然な形で強さが生まれてくる。


心を開きさえすれば、日常生活は癒しの生活になる。

そうすれば、形式どおりの瞑想をしたりしなくても、

人生そのものが行動の中の瞑想となる。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


第六章 肉体の病に、どう対処するか


P139~142:


仏教徒であろうがなかろうが、

病気は駆け足で生きる人生の速度を落とし、

執着を解き放ち、苦しみのさなかにありながら、

人生の素晴らしさを評価する機会を、与えてくれる。・・・・・・


インフルエンザのウイルスが

じぶんを選んだなどと考えないことだ。

病気の人は 多いのである。


そのことを思い出して、

じぶんの苦しみをもっと広い視野の中に置きなおし、

じぶんが属す人間家族の全体に対する慈悲の気持ちを育てあげなさい。


すべては無常だ。病気も例外ではない。

気分が悪いと、永遠にそれが続くように思うかもしれない。

だが、それもやがてはなくなってしまう。

悪い気分も、結局は消え去っていくのだ 

ということを忘れないようにしなさい。


病気のときには、

何か気分がよくなるようなことを見つけ出すようにしなさい。

ベッドに横になって瞑想するか、

心に霊気を吹きこんでくれるような本を読みなさい。


あまりに気分が悪いときには、

素朴な感謝をもって窓の外を眺め、

部屋の光の配置を見、

外の活動の音に耳を傾けなさい。


喘息のような症状でみじめな気持ちになっているときには、

次の瞬間、もっとひどいことが起こったり、

痛みが悪化すると考えないようにしたほうがいい。


身体の中に静かにとどまり、

できるだけリラックスし、

ただ、その感覚といっしょにいればいい。


病室で過ごさなければならないなら、

気分をよくするために、絵や花といった、

心を慰めるものを置いておけばいい。


できれば、たとえ重い病気でも深刻にならないようにしなさい。


運命と陰鬱が降りそそいできたら、

それこそ冗談を言うためにうってつけの瞬間だろう。

賭け金がとても高いときに、遊び心をもち続けられれば、

その勇気は、じぶん自身にも他人にも、勇気を与える。


最善の治療法を決めるにあたっては、

賢明かつ理性的な方法をとりなさい。

そして、助けになるものであれば、

どんなアプローチに対しても、自由な開かれた態度を取りなさい。


     ーーー


P142~143:


病気によって、孤独を感じているときには、

じぶんから外に出なさい。


友人や家族や周囲の人、誰とでもいいから、

関係をむすぶように努力しなさい。


起き上がって、ふたたび世界にくわわりなさい。

それは素晴らしく効果のある薬だ。


起き上がれなかったり、痛みを感じているときには、

電話を取って誰かに話しかけなさい。


できれば、勇気を与える本を読み、

心を新鮮に蘇らせる音楽を聴き、

花や絵の美にながめいり、

窓から降りそそぐ光の美しさに目をやりなさい。


勇気を与えてくれるものを、

何も見ることができなければ、

じぶんの愛する人か物のことを考えて、幸福を感じなさい。


幸福を感じているとき、あなたは、

癒しに向かう道を進んでいるのである。


また、じぶん以外の病気の人のことを考えてもいい。・・・・・・


怒りや恐怖や落胆が生じてきたら、

どれほど強く、また長く続くもののように見えても、

やさしく向かいあいなさい。


激しく荒れ狂う感情すら、忍耐によって、

癒しのエネルギーになり得るからだ。


我慢できないと思うなら、

その気持ちもプラスに考えなさい。

なぜなら、それはよくなりたいという気持ちのあらわれだからだ。



P144~145:


すべての病気を治したり、「直す」ことはできない。

結局のところ、身体は旅の宿のようなものだ。

しばらくそこに住んでいることはできる。

だが、それが終われば、いつかは去っていかなければならない。


わたしたちはみな死ぬのである。

けれど、たとえ、あと数ヶ月、

あるいは数日しか生きられないとしても、

死にいたる末期の病であっても、

それをチャンスだと考えることはできる。


じぶんが死につつあると自覚することは、本当に恵みであり得る。


なぜなら、そういうときには、

完全にじぶん自身のために悲しみ、

身体が健康だったときにはむつかしかったようなやり方で、

じぶんを開くことができるからだ。


愛する者たちを、

どれぐらい大切に思っているか、しゃべることができる。


もつれかえった関係を修復することもできる。


現在じぶんが手にしている小さな瞬間の中に、

価値を見出すことができる。


死そのものもまた深い癒しであり得る。


たとえ死にいたる状況が困難に満ち、

また肉体的な苦痛があったとしても、平和を味わうことはできる。


人生のすべては、執着を解き放つ過程であり得る。

死もまたその例外ではない。


とはいえ、生命を、あまり早々と手放さないように。

じぶんの生命という貴重な贈り物を大切にしなさい。


もしも生きられる可能性があるのなら、

回復は可能だと心に言い聞かせ、そうしようとはっきり決心しなさい。


ついに死の王が身体を支配し、

死の魔に呼ばれたら、行かなければならない。

それがものごとの自然というものだ。


けれども、ときにはちょっと死神をだますことだってできる。

名前を呼ばれたからといって、すぐに返事をしなくてもいい。


にほんブログ村 シニア日記ブログ 80歳代へ にほんブログ村 シニア日記ブログ 女性シニアへ



2025-05-28

私に必要なものと注意すること

 

☆睡眠と休息


 ・週に3日は、睡眠+昼寝=7時間を確保したい

 ・疲れたら、途中でもすぐ横になって休む。

  そこは頑張らない。

  休んだあとに また続ければいいだけ。

  頭を使うと 

  神経伝達物質「グルタミン酸」が過剰に蓄積

  疲れには休息と睡眠が必要。

  疲れている時に、大事な決定をしてはいけない。


☆リラックス

 うがい。

 小さな錨をおろす(お湯を飲む。蜂蜜やおやつ少し)


~~~~~~~~~~


☆家事と食事


 ・家事は細かくわけて、ちょこちょこする。

 ・昼食は一汁一菜。夕食は宅配弁当。

  調理は簡単に。

  好きなものを食べる。

  疲れている時は レンチンの総菜で。

  食べ過ぎない。肉は控えめ。


~~~~~~~~~~


☆外からの情報


 ・体調管理に役立つ情報

 ・美しい風景の映像

 ・ほっとするようなやさしい言葉

 ・世界の理解に役立つシンプルな解説(AIに頼む)

  深掘りしないこと。


 *脳の中を ゴミ屋敷にしない。

 ・ニュースやネガティブな話は避ける。

 ・気分転換・息抜きに見るドラマは

  楽しめるものだけにする。

  映画は見ない(負荷が大きい)


 ・だらだら検索をしない

  (それは私が、今、知るべきことか?)

 

 ・AIに頼んで、興味を感じた本を短く要約してもらう。

 ・ブログは、主に備忘用。

  たまに楽しんだことの記録。


 交感神経活動が常に高すぎる状態。

 気が付いたら、ゆったりのんびりを意識する。

 やさしい情報に触れて 脳と体を守る。 


 ・脳と目の疲労を避ける

  (PC・タブレット30分で休む)


~~~~~~~~~~


☆ストレッチ


 ・胸を開く。かかと上げ下げゆっくりと。

 ・もも外側とアキレス腱5秒伸ばす。

 ・気がついたら姿勢よく(猫背は✖ 腰を立てる)


~~~~~~~~~~


☆祈る・信じる・頼る

 鎮まれ 鎮まれ 
 荒ぶるわたしの細胞よ 鎮まれ

 大丈夫 大丈夫
 きっと なんとかなる。



☆新しく何かする時

 ・簡単にできることを試す。

 ・努力がいることや難しいことは、決してしない。

 ・能力の限界を感じたら、頼る。


~~~~~~~~~~

☆寝る前に自分を思いやる


 ・今日も よく頑張った。さぁ、休もう。

  私にいいことがあるように。

  私が癒されるように。 

 

 ・ご飯を食べられたことに 感謝する

 ・よく働いてくれた手と足に 感謝する

 ・黙々と働いてくれた臓器たちに 感謝する。 


 ・グダグダの日は、夜まで持ちこたえた自分をねぎらう。

  お疲れさん。さぁ 寝よう。


====================


☆CFS患者へのアドバイス


CDC(米国疾病予防管理センター)
Myalgic Encephalomyelitis/Chronic Fatigue Syndrome のサイトから転載。

①「患者の声」シリーズから

 ・Andrew's Story

 私は医師ですが、発症するまで
 ME/CFSという言葉は知りませんでした。

 1986年8月の具体的な日は言えませんが、
 突然発症した人の多くは言えると思います。

 ME/CFSと共に生きることを学ぶ必要がある。

 自分の状態を把握し、
 パターンを認識することが重要です。

 何が事態を悪化させ、
 何が助けになるのかを見極めなければならない。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

②CDCのアドバイスから

*予防接種

予防接種は免疫システムに必ず影響を及ぼしますので、不可欠と思われるもの以外のどんな予防接種も避けることが賢明です。


*リラクゼーション

自分でできることの一つは、
適切なリラクゼーション術を習うことです。

多くの方はたっぷりリラックスしていると言いますが、実際には身体的にも精神的にも解放された時間を過ごしていません。

ゆっくりしたリズム(1 分間に40~60 拍子)の音楽も、リラクゼーションを誘導する非常に強い効果があります。

心臓がリズムに合わせようとしてゆっくりになります。

一日に一時間はリラックスする時間をとるように努め、全く邪魔されることのないようにして下さい。

必要であれば電話を切っておく。
誰からも邪魔されずに
静かに過ごさなければならない特別な時間。

にほんブログ村 シニア日記ブログ 80歳代へ にほんブログ村 シニア日記ブログ 女性シニアへ



2025-05-18

夫と私のこと&追記訂正

 

2月下旬、夫は片一方の腎臓と尿管を摘出した。

結局、ステージ3で、転移の可能性は低いらしい。


なぜか3月から一段と ダルい、ダルい、ダルいと訴える。

食事とコーヒー・歯磨き・入浴以外は、下に降りてこない。

ほとんどの時間は 横になって昔々のドラマを見ているらしい。

時々めまいや、足フラフラ感を訴えていた。


4/19(土)夕方

私には黙って、ごく短い散歩に出た。

本人は、足の様子を確認したかったらしい。

ゆるい坂を10m降りて、戻ってくる途中で息切れ。


道路脇の小さなところに座ったとたん意識が無くなり、

前のめりに倒れ 頭と肩を打った。意識はすぐ戻ったようだ。


肩の骨は大丈夫だったが、頭の傷からかなり出血。

血まみれになって帰ってきた。


子供と相談したが、興奮して話しているし、

動いているから「様子見でいこう」になった。


その後、入浴中にも1回、意識が無くなって倒れたらしい。

が、私はまったく知らなかった。


5/10(土)夜

入浴後裸のまま、椅子に腰かけたのは知っていた。

その後「ゴトン」と音がして、夫が仰向けに倒れていた。


私はベッドでタブレットを見ていた。

どんな倒れ方をしたのかわからないが、呼びかけても返事しない。


目は開いているが、視線は動かず。

尋常じゃない荒い息をして、下あごだけが不自然に横に動く。

後頭部をさわったが傷はない。


とりあえず枕を当てて毛布をかけたが、その状態が8分つづく。

すぐ子供に電話。

多分10分後には意識は戻った。

夫は「起きる」と言うが、起き上がれず。


20分ぐらい経ってからようやく起き上がり、椅子に腰かける。

水を飲ませると、暑いと言って、扇風機を持ってこさせ、風に当たる。


子供はたぶん、軽い熱中症のような状態になったのではないかと言うし、夫も「医者には行かない」と言うので、その日はそれで終わった。

が、私は気になってよく眠れなかった。


結局、3週間で、3回意識が無くなり倒れたことになる。

私の頭には、3回目の様子がまざまざとよみがえり、軽いトラウマになった。


月曜日。ついに私が騒ぎ、夫も「なんかおかしい」と思ったようで、自ら「総合病院への紹介状を頼む」と言い出した。


かかりつけ医は緊急かも?と思ったようで、

5/16に脳神経内科の予約がとれて受診。循環器にも回されたとか。


脳のCTでは特に問題なし。

子供の言う通り、「暑くなると倒れるのだろう」と言うことになった。


医師の注意は:

・厚着をさせない

・暑い時は散歩に行かせない。

・風呂はぬるめで

・風呂上がりに倒れてもいいように、床にふとんを引いてそこで着替える

 (これは実際にやってもらうと、パンツやステテコがはけない。ひっくり返りそうになる。やっとはいても、今度は椅子につかまっても立ち上がれない。医師の思い付きは無理とわかった)

以下、追記訂正:訂正します。

医師からは、椅子で着替える時に、横に倒れてもいいように椅子の横にふとんを置いとく、と指示されたそうです。

ブログ投稿後に2回、上でゴトンと音がした。
私は簡単には2階へあがれない。
階段下から尋ねると、起き上がる時に足がもつれ、たたらを踏んだらしい。
今は床にごく薄いふとんを敷いて、寝た姿勢でTVを見ている。
そこでTVをベッドで見るようにしたらどうかと子供に電話で相談した。

電話で話していて、私が勘違いしていたことがわかった。
大体、床に座ってパンツをはくのがどんなに難しいかわからないの?と言った。

あ~、私の無知と勘違いもだんだんひどくなっているようだ。

そして、我ながら、ブログで正確に説明できていないのもわかる。
つまり言葉を使う頭も 悪くなってきているのだ。


夫は、50年前に「完全右脚ブロック」とわかっていたが、その後特に、検査はしてこなかった。今回循環器の話では、

もう1本(私の推測では、左脚)が細くなり弱ってきている。こちらが切れるようになると「ペースメーカー」が必要。経過観察のために3か月後にくるように だった。

血液検査でも いつもの血糖と中性脂肪だけが問題だったようだ。


医師から見れば、

結局 老化ということになるのだろう。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~


夫は、私や子供が何か言いかけるとすぐ顔をしかめる。

干渉する、強制する、非難すると反射的に思い、

すぐに屁理屈の反論をする。


昔々から、私と子供たちには「殿様」として威張ってきた。

絶対、自分の思うことを要求して、

私たちの訴えに耳を貸さないというか、

まったく理解できないようだった。

自分がしたいように暮らしてきた。


が、ここにきて、更に筋金入りのガンコになった。

こちらの意見には、いや医師の意見に対してさえも、

自分のしたいことと違えば、

「自分の体のことは、自分が一番知っている」と言って、聞き入れない。


今回のことで、夫は「軽度認知障害」から

「認知症の段階」にすすんでいるのではないか と感じた。


物忘れが更にひどくなっていたのは気づいていたが、

1~2分前に言ったことと矛盾することを平気で強く言いはる。


「あんたが呆けているんだ」「人の話を聞いてない」と攻撃する。

つじつま合わせの作話もする。

ぐちゃぐちゃ並べてぼやいたが、どうにもならない。


子供は、結局 人間とはこうなっていくものだ と言う。

ましてや あの夫のことだから、好きにさせるしかない。

それで何か起きても、それは仕方がないと諦めることだと。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~


私はいろいろ増えた症状で、

4月~5月は去年6月の最悪期につぐ具合の悪さだった。

今は余裕ができて考えないが、2回「安楽死」が頭に浮かんだ。

でも、日本では 100%不可能だ。

いいのか悪いのかわからないが、ティプトリー・ジュニアを思い出した。


ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア - Wikipedia

 (1915年 - 1987年)

私はごく平凡で才能もない日本人だ。

彼女の思考も内面に抱えていたという感情的問題もまったく理解できない。

が、自ら選ぶという行為に感嘆する。


本を読んだことはないし、どんな人なのかも知らないが、

なんとなく好きではなかった西部 邁(1939年 - 2018年) 。

が、その最後にも、少し共感した。


一方、最後まで生き抜いた、フリーダ・カーロもいるけれど。。。

フリーダ・カーロ - Wikipedia

 (1907年 - 1954年)

老いと痛みを生きるには、

冷静さと、知恵と、耐える力が必要だ。

現実を忘れ、何かに打ち込む時間も必要だ。


それを胸に、文字通り 何度も 刻め。

そして 人の老化は

あらゆる面ですすむと覚悟しておく。

そして、何か言う前に、それが適切かどうか 一旦 考えること。


にほんブログ村 シニア日記ブログ 80歳代へ にほんブログ村 シニア日記ブログ 女性シニアへ