2月下旬、夫は片一方の腎臓と尿管を摘出した。
結局、ステージ3で、転移の可能性は低いらしい。
なぜか3月から一段と ダルい、ダルい、ダルいと訴える。
食事とコーヒー・歯磨き・入浴以外は、下に降りてこない。
ほとんどの時間は 横になって昔々のドラマを見ているらしい。
時々めまいや、足フラフラ感を訴えていた。
4/19(土)夕方
私には黙って、ごく短い散歩に出た。
本人は、足の様子を確認したかったらしい。
ゆるい坂を10m降りて、戻ってくる途中で息切れ。
道路脇の小さなところに座ったとたん意識が無くなり、
前のめりに倒れ 頭と肩を打った。意識はすぐ戻ったようだ。
肩の骨は大丈夫だったが、頭の傷からかなり出血。
血まみれになって帰ってきた。
子供と相談したが、興奮して話しているし、
動いているから「様子見でいこう」になった。
その後、入浴中にも1回、意識が無くなって倒れたらしい。
が、私はまったく知らなかった。
5/10(土)夜
入浴後裸のまま、椅子に腰かけたのは知っていた。
その後「ゴトン」と音がして、夫が仰向けに倒れていた。
私はベッドでタブレットを見ていた。
どんな倒れ方をしたのかわからないが、呼びかけても返事しない。
目は開いているが、視線は動かず。
尋常じゃない荒い息をして、下あごだけが不自然に横に動く。
後頭部をさわったが傷はない。
とりあえず枕を当てて毛布をかけたが、その状態が8分つづく。
すぐ子供に電話。
多分10分後には意識は戻った。
夫は「起きる」と言うが、起き上がれず。
20分ぐらい経ってからようやく起き上がり、椅子に腰かける。
水を飲ませると、暑いと言って、扇風機を持ってこさせ、風に当たる。
子供はたぶん、軽い熱中症のような状態になったのではないかと言うし、夫も「医者には行かない」と言うので、その日はそれで終わった。
が、私は気になってよく眠れなかった。
結局、3週間で、3回意識が無くなり倒れたことになる。
私の頭には、3回目の様子がまざまざとよみがえり、軽いトラウマになった。
月曜日。ついに私が騒ぎ、夫も「なんかおかしい」と思ったようで、自ら「総合病院への紹介状を頼む」と言い出した。
かかりつけ医は緊急かも?と思ったようで、
5/16に脳神経内科の予約がとれて受診。循環器にも回されたとか。
脳のCTでは特に問題なし。
子供の言う通り、「暑くなると倒れるのだろう」と言うことになった。
医師の注意は:
・厚着をさせない
・暑い時は散歩に行かせない。
・風呂はぬるめで
・風呂上がりに倒れてもいいように、床にふとんを引いてそこで着替える
(これは実際にやってもらうと、パンツやステテコがはけない。ひっくり返りそうになる。やっとはいても、今度は椅子につかまっても立ち上がれない。医師の思い付きは無理とわかった)
夫は、50年前に「完全右脚ブロック」とわかっていたが、その後特に、検査はしてこなかった。今回循環器の話では、
もう1本(私の推測では、左脚)が細くなり弱ってきている。こちらが切れるようになると「ペースメーカー」が必要。経過観察のために3か月後にくるように だった。
血液検査でも いつもの血糖と中性脂肪だけが問題だったようだ。
医師から見れば、
結局 老化ということになるのだろう。
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夫は、私や子供が何か言いかけるとすぐ顔をしかめる。
干渉する、強制する、非難すると反射的に思い、
すぐに屁理屈の反論をする。
昔々から、私と子供たちには「殿様」として威張ってきた。
絶対、自分の思うことを要求して、
私たちの訴えに耳を貸さないというか、
まったく理解できないようだった。
自分がしたいように暮らしてきた。
が、ここにきて、更に筋金入りのガンコになった。
こちらの意見には、いや医師の意見に対してさえも、
自分のしたいことと違えば、
「自分の体のことは、自分が一番知っている」と言って、聞き入れない。
今回のことで、夫は「軽度認知障害」から
「認知症の段階」にすすんでいるのではないか と感じた。
物忘れが更にひどくなっていたのは気づいていたが、
1~2分前に言ったことと矛盾することを平気で強く言いはる。
「あんたが呆けているんだ」「人の話を聞いてない」と攻撃する。
つじつま合わせの作話もする。
ぐちゃぐちゃ並べてぼやいたが、どうにもならない。
子供は、結局 人間とはこうなっていくものだ と言う。
ましてや あの夫のことだから、好きにさせるしかない。
それで何か起きても、それは仕方がないと諦めることだと。
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私はいろいろ増えた症状で、4月~5月は去年6月の最悪期につぐ具合の悪さだった。
今は余裕ができて考えないが、2回「安楽死」が頭に浮かんだ。
でも、日本では 100%不可能だ。
いいのか悪いのかわからないが、ティプトリー・ジュニアを思い出した。
(1915年 - 1987年)
私はごく平凡で才能もない日本人だ。
彼女の思考も内面に抱えていたという感情的問題もまったく理解できない。
が、自ら選ぶという行為に感嘆する。
本を読んだことはないし、どんな人なのかも知らないが、
なんとなく好きではなかった西部 邁(1939年 - 2018年) 。
が、その最後にも、少し共感した。
一方、最後まで生き抜いた、フリーダ・カーロもいるけれど。。。
老いと痛みを生きるには、
冷静さと、知恵と、耐える力が必要だ。
現実を忘れ、何かに打ち込む時間も必要だ。
それを胸に、文字通り 何度も 刻め。
そして 人の老化は
あらゆる面ですすむと覚悟しておく。
そして、何か言う前に、それが適切かどうか 一旦 考えること。
2 件のコメント:
空さん、随分ご無沙汰してしまいました。私のブログにコメントをいただいたのですが、今気持ちが落ち込んでいてあまり書くことに集中できないので、空さんのブログに今の状態を書かせていただきたいと思います。
チャーリーが4月29日に亡くなりました。この頃体調が悪いとは思っていたのですが、2・3日何も食べないので動物病院へ行きました。血液検査をして、腎臓がとても悪いといわれ、毎日点滴をするようにといわれました。
毎日病院へ連れて行き、様子を見ていたのですが、だんだん弱り、21日に薬を打ち始めて、29日に亡くなりました。私はとてもショックを受け、今もこれを書きながら、泣いています。
自分の一部が失われたようで、本当につらいです。何もする気持ちがないけれど、何もしないわけにはいかないで、今までのように暮らしていますが、まだ当分は普通の暮らしはできないでしょう。
そのうちブログに書く気はありますが、もう少し気持ちが落ち着いてからと思っています。
15才と8か月の輝かしい命でした。私は弱ってもチャーリーと暮らしたいと思っていました。今は心がキリキリと痛みます。もっと何かしてあげられたのではないかとずっと後悔をしています。
そんな風で、あまり外に気持ちが向かなくなっています。空さんの暖かいお気持ちには感謝ばかりです。ご主人も大変そうですが、空さんもお身体大切に気を付けてください。
ではまた。
beautiful-sunset さん
チャーリー君の様子を書いていらしたのは、4/18日でした。それから11日で、亡くなったのですね。
約16年ものあいだ、毎日beautiful-sunset さんの傍にいて、あなたを見ていたのですものね。心に穴があいた感じかなと想像しています。
>もっと何かしてあげられたのではないかとずっと後悔をしています。
とおっしゃいますが、ごめんなさい。
「そんなことはない」と思います。
beautiful-sunset さん、十分な愛情で接していらしたと思います。チャーリー君もよくわかっていたと思います。
命あるものは いつか別れを迎えます。繊細で優しいあなたの元で、幸せだったと思います。
悲しみが癒えないなかを、お知らせありがとうございました。
beautiful-sunset さんが癒されますように。お祈りします。
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