私:
韓国の犯罪ドラマを見たことがあります。
2021年 『クライムパズル』
2022年 『悪の心を読む者たち』
『クライムパズル』は、カルト集団による犯罪。
『餌【ミッキ】』は、大規模な詐欺集団による犯罪。
『悪の心を読む者たち』は、サイコパスによる連続殺人です。
これらはあくまでもドラマですが、
何とも陰惨で強烈なシーンが多く、
うへぇ~と引きながら見ていました。
犯罪がでてくる韓国ドラマは、他にもあります。
犯罪がでてくるドラマでは、
2018年 SKYキャッスル - Wikipedia
2020年 『ミッシング〜彼らがいた〜』
2022年 『ミッシング2〜彼らがいた〜』
2021年 『工作都市~欲望のワルツ~』
2022年 『イブの罠』
2024年 『YOUR HONOR~許されざる判事~』
私が知らないだけかもしれませんが、韓国で2018年~2024年に、こういう犯罪ドラマが作られた背景に、何かあるのかな?
ChatGDP:
結論から言います。
2018~2024年に韓国で犯罪ドラマが目立って増えたのは、偶然ではありません。
社会条件・産業構造・視聴者側の変化が重なっています。
感想や慰めは要らないとのことなので、要因を分解します。
① 現実の犯罪が「題材として使える段階」に来た
韓国では2000年代以降、
-
連続殺人(華城事件の再検証・真犯人特定)
-
大型詐欺(マルチ商法、仮想通貨、投資詐欺)
-
カルト宗教(JMS、摂理、救援派など)
-
権力犯罪(財閥・検察・政治の癒着)
が、隠しきれないレベルで社会化しました。
重要なのは
「犯罪が増えた」よりも
犯罪を語っても社会が壊れなくなった点です。
軍事政権時代や直後なら、
-
国家の威信を損なう
-
治安悪化の印象を与える
として放送できなかった。
民主化が進み、
「国家=常に正しい」という前提が崩れたことで、
犯罪を構造として描く自由が生まれました。
② 犯罪ドラマは「個人の悪」ではなく「構造の悪」を描ける
あなたが挙げた作品は共通点があります。
-
単なる犯人探しでは終わらない
-
犯罪が「個人の異常」だけで説明されない
例を整理すると:
-
『クライムパズル』
→ カルト × 権力 × 集団心理 -
『餌(ミッキ)』
→ 詐欺 × 国家の怠慢 × 被害者放置 -
『悪の心を読む者たち』
→ サイコパス × 捜査制度の未整備 -
『SKYキャッスル』
→ 教育競争 × 階層固定 × 親の狂気
つまり、
犯罪を描いているが、
問題は「社会の設計」にある
という作りです。
これは
経済成長が頭打ちになった社会で、非常に使いやすい物語形式です。
③ 2018年前後は「幻想が壊れた時期」
年表的に見ると、かなりはっきりしています。
-
1997年 アジア通貨危機
-
2008年 世界金融危機
-
2010年代後半
→ 就職難・住宅高騰・階層固定が常態化
2018年頃になると、
-
努力すれば報われる
-
勉強すれば上に行ける
-
法は公平
という戦後韓国を支えた物語が持たなくなった。
その結果、
-
正義が勝つ話 → 信じられない
-
恋愛・成功物語 → 現実逃避に見える
代わりに、
なぜこんな社会になったのか
誰が得をしているのか
を描く犯罪ドラマが視聴者の欲求に合致した。
④ 産業的な理由(とても重要)
韓国ドラマは、この時期から
-
国内視聴率より
-
**海外配信(Netflixなど)**を強く意識
するようになります。
犯罪ドラマは、
-
文化差があっても理解しやすい
-
恋愛や身分制度の前提知識が不要
-
テンポと緊張感で引っ張れる
つまり
輸出向きジャンルです。
しかも、
「韓国社会の闇」という売り方ができる。
これは意図的です。
⑤ 陰惨さが強い理由
あなたが「うへぇ~」と感じた点も重要です。
韓国ドラマの犯罪描写は、
-
被害者をぼかさない
-
加害の過程を隠さない
-
見ていて不快になるラインまで踏み込む
これは、
見る側を守らない
見る側に責任を押し返す
作りです。
「これは他人事か?」と
視聴者に突きつける構造。
日本の犯罪ドラマが
「安心して見られる」方向に寄りがちなのと対照的です。
⑥ まとめの代わりに一点だけ
2018~2024年の韓国犯罪ドラマは、
-
犯罪ブームではなく
-
社会の自己診断です。
うへぇ~と感じるのは正常です。
むしろ、そう感じない作りにはなっていません。
あなたが違和感を覚えたのは、
「ドラマが現実逃避をやめた」ことに気づいたからです。
私:
あなたが挙げた要因の、①、②、③はドラマを思い出すと納得できます。④も、韓国ドラマの作り手が海外で売ることを考えている(韓国ドラマだけでなく、ポップスもそうですが、海外へのコンテンツ産業として成立するようになった)事を思うと納得です。
ただ、
>これは、見る側を守らない
見る側に責任を押し返す作りです。
>「これは他人事か?」と視聴者に突きつける構造。
と言うのは、どういう意味ですか?
ChatGDP:
では、順に噛み砕いて説明します。
「これは、見る側を守らない」という意味
昔のドラマ(日本の時代劇やホームドラマを含めて)は、基本構造がこうでした。
-
悪い人ははっきり「悪」
-
最後は罰を受ける
-
善悪の線が分かりやすい
-
見終わったあと、気持ちが整理される
これは視聴者を精神的に安全な場所に置く作りです。
「あなたは正しい側」「安心して見ていい」という前提があります。
ところが、あなたが挙げた韓国の犯罪ドラマは違います。
-
犯罪者が合理的で、頭が良い
-
被害者にも問題がある場合がある
-
国家・警察・司法が信用できない
-
最後もスッキリ終わらないことが多い
つまり、
「これはフィクションだから安心していいですよ」
とは言ってくれない。
視聴者を不安定な場所に立たせたまま終わる。
これが「見る側を守らない」という意味です。
「見る側に責任を押し返す」とは?
ドラマが答えを用意しない、ということです。
例えば、
-
この犯人は完全に異常なのか?
-
社会がそうさせたのでは?
-
自分が同じ立場なら、違う行動が取れたのか?
こうした問いに、ドラマは結論を出しません。
「どう思うかは、あなたが決めろ」
「納得できないなら、それも現実だ」
そうやって判断を視聴者に返す。
だから見ていて疲れるし、後味が悪い。
「これは他人事か?」と突きつける構造
ここが一番重要です。
これらのドラマの犯罪は、
-
特殊な天才犯罪者だけの話ではない
-
異常なカルトだけの話でもない
-
極端な悪人だけが起こす話でもない
多くの場合、
-
学歴競争
-
借金
-
成果主義
-
家族への過剰な期待
-
権力と金への依存
普通の社会の中にある要素から犯罪が生まれています。
だから視聴者はこう考えさせられる。
-
自分の職場は?
-
自分の家族は?
-
自分の判断は安全か?
「私は関係ない」「特別な人の話だ」と逃げにくい。
これが
「これは他人事か?」と突きつける構造です。
重要な点をはっきり言います
あなたの感覚――
「うへぇ~と引きながら見た」
これは正常です。
これらのドラマは、
-
楽しませるためだけの作品ではない
-
癒しを提供するものでもない
-
視聴者を不安にさせる設計になっている
つまり、「だまされている」のではなく、
意図的に不快な場所へ連れて行かれている。
それを受け止めて「何かおかしい」と感じたなら、
ちゃんと内容を理解して見ている、ということです。
私:
なるほどね~
確かに不気味な感じがしました。
自分が日常の暮らしの中で職場で見かけた人や、
道で挨拶さえしたような人(つまり、ごく普通に見えた人たち)が、
ある日から犯罪者になる という展開でしたからね。
自分の家族は大丈夫か?と、
ふと不安になる視聴者も少なくはなかったかもしれない。
が、それにしてもですよ。
私が知らないだけなのかもしれないけれど、
日本ではああいう種類の犯罪がないような気がします。
ChatGDP:
ここは、はっきり整理したほうがいいですね。
結論から言うと、
日本に「ああいう種類の犯罪がない」わけではない。
ただし、可視化のされ方と物語化のされ方が違う。
です。
① 実際の犯罪発生率の話(事実関係)
統計的に見ると、
-
日本は 殺人・強盗などの凶悪犯罪は少ない
-
韓国は日本より 凶悪犯罪率がやや高い時期があった
これは事実です。
ただし重要なのは、
-
カルト犯罪
-
組織的詐欺
-
家庭内・職場内の抑圧からの逸脱行為
-
連続殺人(少数だが存在)
これらは日本にもあります。
例を挙げれば(ドラマ化されにくいだけで)、
-
オウム真理教
-
霊感商法・大規模詐欺
-
家族内殺人
-
無差別殺傷事件
「ない」のではなく、見せ方が違う。
② 日本社会は「犯罪を物語にしない」傾向が強い
日本の特徴はここです。
日本のドラマやメディアは、
-
犯罪を個人の異常に閉じ込める
-
社会構造の問題として深掘りしない
-
加害者の内面に踏み込むことを避ける
理由は単純で、
-
「波風を立てない」
-
「誰かが不快になる可能性を避ける」
-
「モデルになった現実と結びつくのを恐れる」
つまり、
現実に似すぎる描写を、意図的に避ける文化があります。
③ 韓国ドラマは逆に「現実に寄せて殴る」
あなたが見た作品群は、
-
「特殊な悪」では終わらせない
-
ごく普通の人間が壊れていく過程を描く
-
家族・学校・職場・国家を疑う
これは韓国社会の事情と直結しています。
-
急激な経済成長
-
激しい競争
-
学歴・成果主義
-
国家や制度への不信感
その結果、
「普通に見える人が、ある日越えてしまう」
という物語が、リアルな恐怖として成立する。
日本では、これをやると
「不謹慎」「暗すぎる」「現実と結びつきすぎる」
と言われやすい。
④ 「日本人は安心したい」という視聴姿勢
ここは、あなたの違和感に直結します。
日本の視聴者は一般に、
-
日常の延長としてドラマを見る
-
不安を増やしたくない
-
家族や隣人を疑う感覚を持ち込みたくない
だから日本の作品は、
-
犯罪が起きても「安全な距離」を保つ
-
犯人はどこか「別世界の人」になる
-
見終わった後、日常に戻れる構造
韓国ドラマは逆で、
-
日常そのものを不安にする
-
「あなたの足元」を揺らす
-
見終わってもザラッと残る
⑤ あなたの「日本ではない気がする」という感覚について
ここで一つ、はっきり指摘します。
その感覚は、
日本社会が安全だから
ではなく、
日本社会が「見ないようにしている」部分が多い
ことから来ています。
犯罪が少ないのは事実ですが、
歪みがないわけではない。
ただ、
-
表に出さない
-
物語にしない
-
語らない
それだけです。
あなたが感じた不気味さは、
「韓国が怖い」からではありません。
社会の裏側を、正面から見せられた不気味さです。
日本の作品があまりやらないことを、
韓国ドラマは平然とやる。
その違いが、強烈に感じられただけです。
私:
そうそう。あなたに質問する前に思い出してはいたんですよ。
帝銀事件。浅間山荘事件。オウム真理教。
一時続いた無差別殺人(駅などで突然切りつける。)
もう忘れたけど、秋葉原事件?のようなのが何回か。
バスの中で火をつけて乗客が怪我をした事件。
教育大付属小学校で切りつけた事件。
少年Aという事件もあったっけと。
でも日本では、それに関する本は出ていても、映像化はされてないよなと。
その気づきは正確です。
日本では重大事件は「本」にはなるが、「映像」にはなりにくい。
これは偶然ではありません。
理由を整理します。
① 法的リスクが高すぎる
日本では、実在事件の映像化に関して
-
名誉毀損
-
プライバシー侵害
-
遺族感情
-
再トラウマ化
これらに対する訴訟リスクが非常に高い。
特に日本は
「モデルが誰か分かる」
「実在事件を連想できる」
だけでアウトになりやすい。
出版社は本なら
-
読む人が限られる
-
逃げ道(解釈の幅)がある
映像は
-
視覚的に固定される
-
拡散力が強い
→ リスクが段違い。
だからテレビ局・配信会社は避ける。
② 日本のメディア倫理は「再現=加害」になりやすい
日本では、
-
加害者を描く=持ち上げる
-
詳しく描く=模倣犯を生む
という考え方が強い。
実際、
-
少年A事件
-
秋葉原事件
このあたりは
**「語ること自体がタブー」**に近い扱いになった。
結果として、
-
事件は「封印」
-
教訓化もしない
-
構造分析もしない
記憶はあるが、物語にはならない。
③ 日本社会は「原因を社会に求めること」を嫌う
ここが韓国との決定的な違いです。
日本で実在事件を映像化すると、
-
家庭
-
学校
-
職場
-
警察
-
国の制度
必ずどこかに責任が及ぶ。
日本社会はこれを極端に嫌う。
そのため、
-
犯罪は「個人の異常」
-
社会構造の話にしない
-
再発防止より沈静化
という方向に流れる。
④ 視聴者側も「見たくない」
これは感情論ではなく、視聴行動の話です。
日本の多数派視聴者は、
-
ドラマに安心を求める
-
日常と切り離したい
-
現実を突きつけられたくない
だから、
-
水戸黄門型(秩序回復)
-
刑事ドラマでも「安心フォーマット」
-
犯人はだいたい外部の異物
になる。
韓国ドラマのような
「あなたの隣の人が壊れる話」
は、需要が薄い。
⑤ 忘却を選ぶ社会、記録を選ぶ社会
日本は、
-
事件を「忘れることで安定する」社会
韓国は、
-
事件を「語り続けることで処理しようとする」社会
どちらが正しいかではありません。
ただ、
日本で実在事件が映像化されないのは
犯罪が少ないからでも、成熟しているからでもない。
「触れないことを最適解としてきた」結果です。
あなたが思い出した事件の列挙は、
「日本にそういう犯罪がない」という印象を
事実で否定しています。
それでも映像にならない。
そこに、日本社会の性質がはっきり出ています。
私:
確かにね。
・プライバシー侵害
・遺族感情
・再トラウマ化
・模倣犯を生む
このあたりは、事件直後に言われていたと思います。
メディア側の言い訳と言えば、そういう面もある気がしますが。
でも仮に映像作品が作られても、きっと日本の視聴者も「見たくない」でしょう。
私だって、きっと見たくない。
でも常々、「イジメ事件は闇に葬られすぎ」ていると思っています。
私があえて「イジメ事件」と呼びたいのは、イジメによって自死した子供がいたし、
自死まで行かなくても 長期にわたる陰湿な(教師に気づかせないような巧妙なイジメ)によって、自己肯定ができなくなったり、その後の人生に大きく影を落とした例をけっこう知っているからです。
それが闇に葬られてきたことは、
経験者からすると、とても悔しい。
話がずれてしまったけど。
ChatGDP:
ずれていません。むしろ、核心に近づいています。
あなたの言う
「イジメに関する事件は闇に葬られすぎ」
は、事実としてかなり当たっています。
日本で「いじめ事件」が映像化されにくい本当の理由
さきほど挙げた
・プライバシー
・遺族感情
・再トラウマ
・模倣犯
は、表向きの理由です。
より本質的なのは別にあります。
① いじめは「個人犯罪」にできない
殺人事件なら
→ 犯人がいる
→ 物語が閉じる
でも、いじめは違う。
-
加害者が複数
-
傍観者が多数
-
教師・学校・教育委員会が関与
-
地域の空気も影響
つまり、構造犯罪です。
これを映像にすると、
-
学校制度
-
教師の責任
-
親の態度
-
クラスの同調圧力
全部が可視化される。
日本社会は、ここに耐えられない。
② 「被害者が普通の人すぎる」
日本の犯罪ドラマでは、
-
被害者はどこか特別
-
犯人はどこか異常
という距離が保たれます。
いじめ事件では、
-
被害者は「どこにでもいる子」
-
親も「普通の親」
-
クラスも「どこにでもある教室」
視聴者が逃げられない。
「自分もやっていたかもしれない」
「見て見ぬふりをしたかもしれない」
この自己照合が起きる。
だから、見たくない。
③ 日本は「被害者の声」を公にすると困る社会
経験者のあなたが感じている悔しさは、ここです。
日本では、
-
声を上げる=空気を壊す
-
問題提起=波風を立てる
-
告発=面倒な人
という評価が起きやすい。
結果、
-
被害者は沈黙を求められる
-
「忘れること」が美徳になる
いじめは、なかったことにされやすい犯罪です。
④ 韓国との決定的な違い(補足)
韓国でも、いじめは深刻です。
ただし近年は、
-
芸能人の学生時代のいじめ告発
-
ドラマでの正面描写
-
加害者の社会的責任追及
が起きている。
これは「きれいな社会」だからではない。
問題を放置した結果、社会不安が拡大したから、語らざるを得なくなった。
日本はまだ、
-
放置しても社会が回る
-
声を潰しても表面は静か
だから、闇に葬られ続けている。
⑤ 「見たくない」と「見せない」は別問題
あなたが
私だって、きっと見たくない
と言ったのは、自然です。
でも、
-
見たくない個人
-
見せない社会
は別です。
社会が「最初から語らない」選択をすると、
-
被害は個人の中で腐る
-
経験は共有されない
-
次の被害が繰り返される
あなたの「悔しさ」は感情論ではなく、構造的な結果です。
日本では、いじめは
「事件」ではなく
「不都合な出来事」
として処理されてきた。
そのツケは、確実に積み上がっています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
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